神の存在証明は不可能だというカント(というより近代の哲学)の主張を、20世紀の哲学者ヨーナスも共有する。そこで、この本は神の存在を証明するのではなく、アウシュヴィッツに沈黙していた神とはどのような神でありうるか、を論じている。だから、カントが『実践理性批判』でしたように、せいぜい神の「要請」にとどまる。
それなら、なぜ、そんなテーマをとりあげるのか。神がアウシュヴィッツに介入しなかった以上、ユダヤ人ヨーナスにとって、ユダヤ教の正統的な教えをそのまま受け入れることはできないからだし、彼個人の身の上をいえば、アウシュヴィッツとは彼の母が殺された場所である。第一章の「アウシュヴィッツ以後の神概念」はもともと講演だそうで、恐れおののきながらこのテーマを語るヨーナス個人の思いが強く伝わってくる。
なお、ホロコーストのあとでユダヤの神学者たちのあいだにどのような反応が生じたか――たとえば、ルーベンステインの「神の死の神学」(神が死んだのに神学というところが面白くも、にわかには理解しがたいが)――については、訳者による解題のなかで、ほんの少しだが、まとめられている。
ヨーナスは、グノーシス研究、ハイデガーの弟子、脳死や人体実験について保守的(?)な提言をした人、自然のなかに目的を見出す生命哲学、環境危機を防ぐ現代世代の責任を説く責任原理、それにアウシュヴィッツ以後の神の話といろいろな仕事をしている人だが、どこがどうつながっているのか、これまで散発的に出版されてきた訳書では触れられてこなかった。本書は、訳者による「ハンス・ヨーナスの生涯」のなかに、彼の人生に即して思想の展開・変転が説明されている。
これを読むと、『グノーシスの宗教』あとがきで秋山さと子が「実存哲学の中に、グノーシス的なものを認め、近代自我が生み出した問題の解決を図ろうとする意図においては、ヨナスの指摘は間違っていない」と書いているのとまったく逆に、ヨナスはグノーシスと近代哲学との親近性を指摘して、それらの共有する人間疎外を、人間を自然のなかに根づかせる生命哲学で解決しようとしたことになる。ひとりの哲学者の思想をどう読むか、たいへん難しいが、理解するには、ある程度、その哲学者の全貌の把握が必要なことを示す一例かもしれない。
そんなに厚くはない、たった三篇の論文だけの簡潔な内容だが、註も含めて丁寧に作られた本だと思った。