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ナチス・ドイツによるユダヤ人の迫害は史実として知ってはいたものの、
実際に強制収容所を体験した人の手記を読んだのはこの本が初めて。
抑留者たちの想像を絶する凄惨な状況に、本を手にとった日の夜は眠れなかった。
ドイツ語を解さなかった著者が強制連行された収容所から無事生還できたのは、
本人の強い意志の力というよりも、ほとんど僥倖によるところが大きいと感じながら読み進めた。
それほど、著者の綴る文章は繊細で、
「髪も、名誉も、名前もなく、毎日殴られ、日ごとにきたならしくなり、目には、反逆心も、平安も、信仰の光も読み取れない」
抑留者の一人として、自らの人間性が破壊されていくのを深く自覚しすぎている。
そのとても耐えられそうもない極限状態の中で、
友人を得、今日を生き延びる術を身につけ、この体験を「他人」に語りたいと熱望し、生へ執着していく様は圧巻ですらある。
人というものは、かくも強くしぶといものなのだ。
その一人一人、顔も過去も人生も生活も家族もある人々を、物か何かのように「処理」し、
しかも、その遺体の骨や歯ですら「再利用」していたナチス・ドイツの非人間的な行為は決して許されるものではない。
同じような被害者が出ないために、また、いつの間にか自分が加害者の側に組み込まれていたというようなことがないためにも、必読の書だと思う。
L'esperienza insegna.(=経験は教える)
…私はこの諺の凄味をまさにこの本を読むことで実感しました。他人の経験とはなんと価値あるものなのでしょうか。
この本から、アウシュヴィッツの生還者レーヴィの経験を窺い知ることができます(これが全てではないと思いますが)。
翻訳者の竹山氏は、この本をレーヴィと同じ立場で読むべきではなく、レーヴィと違った立場(当時のドイツ人と近い存在)として読むべきだと述べています。つまり、「レーヴィは不幸だなぁ~」とか、「ガス室に送られたり、労働させられたり、侮蔑させられるのはなんと残酷なのだろう…」というように、同情してしまうことで留まってはならないのです。むしろ、この本から、当時のドイツと同盟関係にあった日本の歴史を持つ我、もしくは世界内存在として、レーヴィの経験を通し、何がこれから必要で、可能なのか熟考しなければならないのです。
どんな方にでも、この本を読んでいただきたいと願っていますが、他の生還者の著書を読んだ方には、特にオススメしたい…フランクルなどの著書を読んだ方は、レーヴィが特異な考えを持っていたことに気づくことができるからです。
Meditate se questo e' un UOMO?(これが人間かどうか考えてください)、おそらく、レーヴィのこの問いの重みを実感することでしょう。そして、我々のステレオタイプ的な“もの”の見方を自省させられることでしょう。
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