知里真志保の批判や本書所収の田村すず子の名解説に直ちに読み取ることができるやうにバチェラー師のアイヌ語の理解は極めて杜撰で不完全です。この意味で本書は普通の辞書ではありません。バチェラー自身の聴取で単語が収集されてゐるので、そもそも全うなアイヌ語になつてゐないし、バチェラー自身が造語したアイヌ語がうぢやうぢや出てきます(基督教関係の語彙はアイヌ語にありませんので)。しかし本書は代へがたい存在意義があります。アイヌ語が普通に生活のなかで話されてゐた時代の文献であることは間違ひなく、十分なアイヌ語の知識と理解があれば、本書からアイヌ語の実態を引き出し、資料としておほいに活かすことができるはずです。いずれにせよ正確で客観性のあるアイヌ語の記録ではないから、さうした方面での使ひ方は全く出来ませんが、バチェラー師のアイヌ語訳新約聖書と同様、アイヌ文法や辞書と併用しつつアイヌ語の研究に活用せられるべき文献です。またアイヌの文化史を研究するうえでこのアイヌ語辞書の価値を見過ごすことはできないでせう。本書を復刻したのは賞賛すべきですね。なほ俺自身はアイヌ語が好きでせうせう勉強しただけですから、到底アイヌ語の学習に本書を役立て得る水準にまで到達してゐません。ただ眺めてゐるだけですけどね。