十六世紀末のイスタンブル
舞台は1591年の冬、オスマン・トルコ帝国の都イスタンブルでの雪の九日間の
出来事である。帝国は十六世紀前半に政治的にも、経済的にも、文化的にも最高
の円熟期に達したあとで、色々な面でそろそろ問題が出てき始めた時期である。
政治的な腐敗、長く続く泥沼化した戦争、物価高、インフレに悩む市民、疫病の
流行、大火、退廃的な風潮、乱れた世相と、これら全ての悪の根源は預言者の言
葉にそむいたためであり、葡萄酒の売買を許したためであり、宗教に音楽を取り
入れたためであり、異教徒に寛大であったためであったといって、この機会を利
用して市民の間に入り込み,広がりつつあるイスラム原理主義者の動きがある。
敗北を知らなかったトルコ軍はこの少し前、レパントの海戦(1571)でヴェネ
ツィア共和国とスペイン王国のキリスト教連合艦隊に初めて敗北を喫して、西洋
の力に対する畏れを身をもって感じ始めた時期でもある。この時期はまたトルコ
の細密画の技術が、その庇護者十二代スルタン・ムラト三世の下で本家のペルシ
アの芸術を凌駕する域に達した時代でもある。
時のスルタン、ムラト三世は翌年がイスラム暦の一千年目に当たるところか
ら、その在位と帝国の偉容を誇示するための祝賀本の作成を秘かに命じる。元高
官で細密画がわかるエニシテが監督するが、彼はかつてヴェネツィアで見
た遠近法や陰影,肖像画などの手法を取り込むことをもくろむ。西洋画の技法で
細密画を描くこと、特に肖像画はアラーの神への冒 行為と考えられる時代であ
る。物語はやがて殺人事件に発展していく。事件はイスタンブルで起こるが、
細密画にまつわる歴史的解説は、アレキサンダー、ダリウス、ジンギスカンの
蒙古、フラグの西アジア、チムールの中央アジア、コーカサス、古代ペルシア、
ササン朝ペルシア、インドにまで及ぶ広大な展開を示す。
この本は、その中で西の文明に対比するものとしてイスラムの概念がでてくる
が、イスラム原理主義者の西の影響をよせつけようとしない暴力と独断を、強く
糾弾する書である。進歩的なモスレムの知識人たちと共に、著者はこういう野蛮
と独断がイスラムを内から破壊し、自己批判や変化をおそれることがモスレム社
会を後進させるという。変化をおそれず、西の文明を、よいものは選び受け入れ
ることによってこの危機を乗り越えられるという。
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