小説でも映画でも、われわれが感動するための極めて重要なファクターは『カタルシス』を感じることであると思う。ストーリー性のある娯楽には必ず主人公がいて共感したり嫌悪感を感じたりすることもあるし、助演のキャラクターが時には自分もしくは自分の人生と重なり合うこともしばしばある。それによって勇気を与えられることもあれば人の振り見て・・・と反省を強いられることもある。しかし音楽はそうではない。純粋にミュージシャンの職人芸と作品をストレートに享受することができる。特に英語のよくわからない日本人にとってロックは歌詞ではなくそのリフやリズムの『かっこよさ』をダイレクトに感じることが出来る媒介である。幸せなことにそのロックを思春期の真っ只中に堪能することの出来た私はミュージック・ライフ誌とロッキング・オン誌はいまのインターネットよりもずーっと貴重かつ頼りがいのある情報源であった。そしていまでも当時のロックを拾い聴きしては毎日をなんとか乗り切っているオジサンは中古で購入した本書を読んだ。東郷かおる子氏の素晴らしき半生が垣間見られただけでなく、クイーンにカタルシスを感じる氏に私もカタルシスを多少感じながら読み終えたとき、クラプトンの「TULSA TIME」をi-podでちょうど聴いていた。そして25年前も今も同じロックを同じように聴いては同じように感動している自分に、それでいいんだと思えるようになった。