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でも、なぜか太宰と違って壇さんは比較的長く生きられたのか。それは、やはり「自分で食べるものは自分でつくる流儀の生活」という地に足のついた生活をしていたからではないか。
檀さんが太宰の元を訪ねたときのことがこの本には書かれている。太宰が初代と船橋で同棲していた頃だ。太宰は訪ねていくと故郷から送られてきたハタハタを「初代さんに、七輪の金網の上で、次々と焼かせ、手掴み、片ッ端からムシャムシャとむさぼり喰い」という風情だったという。そして檀さんに「食通っていうものは、ただむやみやたらと、こう喰うだけのもんさ」とうそぶくのだが、檀さんはハタハタまで悪食に感じられて気が滅入ったと書いている。
太宰治は桜桃でもどんぶり一杯を食べるのが好きだったというのを読んだことがあるが、それは「食通」ではないし、ましてや「食生活」でもない。この「太宰治に喰わせたかった梅雨の味」の章で檀さんが書いているように「喰べるということは愉快なことだ。自分達の懐ろなみの、材料をさまざまに買いだしてきて、組み合わせ、あんばいし、さて、それがいきいきとした自分達のイノチにつながる行事だと思うと、こんなに楽しいことはないはずだ」ということを太宰は知らなかっただろうし、もしかして拒否していたのかもしれない。
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