ユダヤ人監督のヒトラーに対する複雑な視線が交錯する映画だ。
怪物ヒトラーも不利な戦況がもたらす重圧で心身の健康を失う生身の人間であったのは事実だし、独裁者の孤独は描かれている。
ただし、描き方はブラック・コメディ。昔ヒトラーに発声法と呼吸法を教えたものの、収容所送りになっていたユダヤ人先生のコーチというかカウンセリングのよろしきを得て、ユダヤ人敵視の理由として幼い日の父との関係を告白し、元気を取り戻して、はてはその先生に対して「マイン・フューラー」と挨拶する始末。ヒトラーも人間だと強調しつつ、さらにコケにしている。
ヒムラーはナチ式敬礼をするために負傷した手を副え木で支えている有様だし、ゲッペルスはヒトラーを利用できるだけ利用しようという魂胆見え見え。宣伝相らしく、総統のパレードのために廃墟のベルリンを薄っぺらなセットでごまかす。犬まで敬礼している。末端は上からの指示なしには何もできない硬直した組織の哀れさ。真実であった(かもしれない)要素を散りばめつつ、戯画化を徹底している。
そういうナチのてんやわんやぶりの一方、ユダヤ人先生は生きるために民族の敵を助けなければならないという状況に追い込まれる。何となくヒトラーに同情してそれで終わりかと思うと、きちんとケリはつける。これは観てのお楽しみ。
ヒトラーやナチについての知識次第で観方が変わることを意識した挑発的な作品。エンドクレジットでの街頭インタビューの様子を観て特にそう思う。
ところで、日本では同じような映画を作れるだろうか。その場合、誰を皮肉る? 色々な意味で日独の違いを考える良い材料だ。