プロ雀士小島武夫の自叙伝。本文には最初で最後の自叙伝と書いてある。
高校・大学と麻雀にはまっていた筆者は阿佐田哲也と小島武夫が大好きだった。どうみても勝負師にしか見えない風貌(表紙の写真も素晴らしい)、雰囲気、佇まい、とにかく二人とも華があった。社会人になり麻雀熱も徐々に冷めてゆき、それと同時に小島に対する熱も冷めていったのだが、その最後の勇姿?を見たのが西原理恵子の「まあじゃんほうろうき」の中で「酔っ払いの武ちゃん」としていじられる姿だった記憶がある。
で、たまたま、書店で目にしたのが本書。懐かしさのあまり思わず手に取ってしまった。
まず、彼が75歳になっていたということに驚いた。冷静に考えればわかりそうなものだが、自分の中では彼の年齢は50歳くらい(筆者が麻雀にはまっていたころの小島の年齢)で止まっていたのだ。自分自身もそれだけ年を取ったことを妙なところで確認してしまいおかしな気分になった。
本人曰く「俺には常識が欠けている」「やりたいことをやりたいだけ、やりたいようにやってきた」とのことだが、この自叙伝には、まさにそのとおりのことが書かれている。濃厚で波乱万丈な人生が描かれている。普通の人であれば人生の分岐点になるはずの仕事(麻雀)や私生活での出来事が、たった2、3行しか書かれていなかったりする。
彼の生い立ちは複雑(ただし彼はそれを後向きに捉えているわけではないようだ)なのだが、もっと複雑なのは彼の子供や孫の生い立ちだ。これは、彼自身の責任で招いてしまったことなのだが、(少なくとも)文中ではそれを深く反省している様子はない。あれこれと自己弁護の言葉を書き連ねることもしない。妻達に対して非難めいたことも書いていない。潔いともいえる。
驚いたのは、彼が、自分の金を賭けない博打に興味はないことを理由に代打ちをしなかったと書いていること(もしかしたら有名なことなのかもしれないが)だ。代打ちのことは、僅かに書かれているだけだが印象に残った。この本には代打ちで30年無敗の桜井章一について触れている部分があるが、彼は桜井の麻雀に対する考え方(姿勢)に対し否定的な見方をしている。特に桜井が主宰する雀鬼会の性格について否定的だ。
筆者は、桜井より小島に勝負師としての匂いを強く感じていたのだが、それは、両者の生い立ちの違い(桜井は経済的には恵まれた家庭に育っている)だけではなく、博打は誰の金を賭けてやるものか、というもっと根本的なことだったのかもしれない。
筆者は、自分では到底不可能な生き方をする人物に惹かれてしまう。それが、アウトロー的な魅力を持つ人物、普通のモノサシで計ることのできない人物であるほどその気持ちは強くなる。だから、この「火宅の人」のような私生活を含めた小島の人生を否定することはできなかった。そこに一般的な常識の入る余地はなかった。
ただ、ひたすらおもしろかった。そんな感想しか思い浮かばない。