エッセイの中には、ヘミングウェイやマルグリット・デュラスをはじめとする作家たちとの出会いのほか、川上文学の礎を築いてきた数々の書物についてのエピソードも数多く盛り込まれており、作家川上弘美の人となりや魅力を十分に感じることのできる内容となっている。
彼女は1996年に『蛇を踏む』で第115回芥川賞を受賞した後、『溺レる』で伊藤整賞と女流文学賞、『センセイの鞄』で谷崎潤一郎賞を受賞するなど数々の賞を獲得。日本文学のなかでも、筆力は折り紙付きの女流作家である。
彼女が連載エッセイを書いていて、最後の回になると必ず思うことがあるという。「さみしいから文章を書いているのに、書くことによってますますさみしくなる。難儀です。でも生きているから、生きのびてこられたから、さみしさも感じられるわけです。難儀もまたよろし、ですね」。(石井和人) --このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。
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その表題のエッセイですが、私は現代の枕草子だと思いました。ほのぼのとしたリズミカルな文体。何回も声を出して読み、2回は書き写した、そんな文章です。
この人の感性が中々素晴らしいというか面白い。本が好きで、酒が好きで、ちょっと怠惰で面倒臭がりである。学校を出て直ぐに中学の理科の教諭をやっていたらしい。作家であり主婦であり大柄の女性らしい。両親との関係も、祖母との関係も優等生的ではないけれども、何とも親しみが持てる。両親からみれば良い娘らしい、といった具合で、読んでいる内に、一度会ってみたいような興味ある女性が浮かび上がってくる。
町を歩いていて突然出くわす不思議なことへの好奇心が強いからこそ作家になったのだろうか。
しょうがパンやナポリタンを懐かしんでみたり、居酒屋で見たアマガエルを見つめたり。井の頭公園への遠足の思い出やら、明石の町の思い出やらとエッセーの題材は実に雑多ではあるが、その雑多さは居酒屋でこの作者の話しを聞きながら酒を飲んでいるような気分で全く違和感がない。
文章が軽妙で飾らないが、洒落ているという点においても、中々良いエッセー集を読んだという気になる。
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