しばらくすると夜のとばりが降り始める、そんな夕刻のカナダの情景を切り取った吉村和敏の美しい写真と、谷川俊太郎の詩とで織り上げた一冊。同じ著者ふたりによる「
あさ/朝」の姉妹編にあたります。
息をのむほどの美しさに夕焼けを飽かず眺めたのはいつが最後だったろう。
勤務先では仕事に追われ、デスクの上のPCからふと目をそらしたときにはいつのまにか窓の外に漆黒の闇が広がっている。これが私の毎日です。そんな日々を送っていると、夕焼けがすでに私の人生からはぬぐい去られたかのような思いを抱きます。
この詩集でも「夕焼け」が登場するのは、全編ひらがな表記の子供口調の詩や、おそらく旅先(つまりは非日常)に身を置いた者の詩など、私のような給与所得者の目から見たものはありません。しきりと我が身を振り返ることの多い読書でした。
夕焼けは、友人と駆け回って遊んでいた子供や、旅にでかけていた大人たちを、家路へといざなう装置です。温かい夕餉が待つあの家に帰ろう。互いに心を寄せ合い、人生を分かち合うあの家族のもとへ。夕焼けはそれ自身の美しさゆえに人々の心を打つだけではなく、それがいざなう先に待つものを思わせるからこそ美しいと感じられるのです。
だからこそ、著者・谷川俊太郎が次のように綴る言葉は大きな意味を持って読者に迫ってきます。
「でも、せかいには、かえるうちもなく、
まっていてくれるおかあさんもいない、こどもだっているんだ。
そんなこどもたちも、ゆうやけのうつくしさを、よろこんでいるだろうか
あしたがくるのを、たのしみにしているだろうか」
今日という日が終わってしまうのがたまらなく惜しいと感じられる世界、明日という日が早く来ることを心躍らせながら待ち望める社会。私たち大人が子供たちに伝えることができるのかどうか、日々問われている気がしてなりません。