・もしも月が2つあったなら?……「月がなければ」という仮定が「2つなら」という仮定に変更。
一見面白くないかもしれないが、ドラマチックな展開を見せ、二つの月は予想外(?)の結末を迎える。
・もしも地球(惑星)ではなく月(衛星)に生命が発生すれば?……知的生命体による宇宙進出は遅れる。
・もしも月が逆向きに公転していたら?……現実の月は地球の公転軌道と向きが同じである。
これが逆になると(逆にするには少々小細工が必要であるが)予想通りの非常に面白い結果になる。
・もしも地球が銀河のどこか他の場所で生まれていたら?……これまた面白い考察である。
現実の太陽系よりも天の川銀河の外側・内側に地球が出来ればどうなるか、という考察である
(もちろん、銀河の核近辺などというのは論外であるが←面白いが生命は少し無理←という考察もある)。
・もしも地球に太陽が二つあったなら?……通常、「連星系は生命に厳しい」というのが一般論であるが、
カミンズ先生はありとあらゆる技巧を使って、生命を誕生させてしまう
(もちろん「厳しいパターン」についても考察を払っている)。
などなど、前作を超えた面白さである。前作よりも挿絵が解り易くなっている。
ノーベル賞は無理かもしれないが、イグノーベル賞ぐらいは狙えるのではなかろうか、というほど
「考えさせられる」研究であり、人を引きつけて離さない書。一気に読了できる。文字さえ読めれば
小学生高学年程度でも無理なく問題なく、天体物理学・地質学の概論に入れそうな良書である。
しかし……。
細かいアラが数点。まず和訳が、前作よりも多少こなれていない(急いだのだろうか?)。
誤字脱字、単位の書き間違いなどが散見される。
そして、せっかくの良書で雰囲気に水を差すようであるが。
「もしも地球が今から150億年後に生まれていたら?」
このネタ、実は、ドゥーガル・ディクソン『マン・アフター・マン』のオチに通じる話である。
「訳者あとがき」は、「各考察の前に、ちょっとしたSF(ドラマ仕立てのショートストーリー)が
用意されている」と喜んでいる。
少し待って欲しい。
ディクソン『アフターマン』は、言わば「もしも人類が絶滅したら? その後の生態系は?」という
本である。ディクソンが『アフターマン』の次に
『マン・アフター・マン(人類滅亡後の人類←一見矛盾するようであるが、正しい。
なぜかはネタバレになるので、書かない)』を書いたとき、
各考察の前にドラマ仕立てのショートストーリーがあるのである。
つまりドラマ仕立てのショートストーリーというのはカミンズ先生の専売特許ではない
(ちなみに「もしも〜ならば?」というのも、ディクソン『アフターマン』のほうが早い)。
カミンズ先生は非常に頑張ったかもしれないが、もうひと工夫欲しかったところである。
ちなみに、『マン・アフター・マン』は、「150億年後の地球」と比較にならないほど
陰鬱である。ディクソンは『マン・アフター・マン』で遊びまくっており、
結局「人類滅亡後の人類」は学名「ピスカントロプス・プロフンドゥス(どういう生命かは学名から類推されたい)」
しか残らない(人類滅亡後の人類も、結局ほぼ絶滅してしまう)。
それはともかく。
カミンズ先生の考察は、すべて「酸素呼吸する生物」が念頭にあり、
嫌気性のチューブワームがすっぽり抜けてしまっている
(ちなみにチューブワームは木星型惑星の衛星の海などに存在が有力視される種類の生物でもある)。
ただしチューブワームやチューブワームを捕食する動物(?)から知的生命体を進化させると
途方もなくわれわれとかけ離れた動物(?)になってしまうので、わざと外したのかもしれないが。
外したのなら「外した」と明記して欲しかった。
また、本書の最後「もしも他の銀河が私たちの銀河に衝突したら?」の考察であるが、
これは今から35億年後(佐藤勝彦『インフレーション宇宙論』によれば50億年後)に
現実に起こるであろう、われわれ天の川銀河とアンドロメダ銀河の正面衝突(?)を
描くものである。
さぞや大規模カタストロフ! と思いきや……「ん? エピローグ??
考察、どこ?」という竜頭蛇尾な感が否めない。それまでの「こってり描写」に慣らされると
放り出されたブラックホールとか球状星団の通過とか、詳細のない「あっさり描写」に
なってしまっていて、少々残念ではある。
なお、カミンズ先生のショートストーリーには少なくとも罠が一つ、隠されている。
「もしも太陽が二つあったなら?」編の登場人物が「太陽は何で燃えている?」という質問に対し、
「リトルボーイとかファットマンとかでやったやつ、核融合ですよ」と答えている。
大丈夫とは思うが、第二次世界大戦で使用された原子爆弾は「核分裂」、
太陽の中で行われているのは「核融合」である。二つは少し違うので、念のため。