かなこ、鞠也、茉莉花のレギュラー三人組が、一巻当初のような、お笑いトリオ的な役割分担が失われてギャグが機能しなくなっているように思えます。最初の頃は、主人公(かなこ)の百合趣味を、「ドヘンタイ」だなんだと毒舌で鞠也が罵るのを、茉莉花が同じく毒舌で鞠也にツッコミを入れているために、ギャグトリオとしてバランスが取れていたのではないでしょうか。
これはお笑い芸人が、毒舌な人とツッコミ役がコンビになっている事が多いのも同じ理屈で、毒舌な人が「面白いけど失礼なことを言う」のをツッコミの人が「失礼さ」を和らげつつ、毒舌の人の発言内容へのツッコミで面白さに繋がる、というわけです。茉莉花と鞠也の関係はまさにこれだったわけです。さらに、茉莉花と鞠也の場合、本来は主人である鞠也に対して茉莉花が毒舌でこき下ろしまくっている面白さもあったように思います。
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ところが、最近の巻だと、鞠也と茉莉花が二人で、かなこをバカにしたりマジな説教をしたりと、茉莉花にツッコミとしての機能が失われ、ふたりがかりでかなこをカサにかかっていびってるだけで、イヤミになって来ているように思えます。
元々鞠也の性格というのは、一見完璧超人ですが、毒舌で理不尽で唯我独尊、裏表のある二重人格と、もしリアルならお近づきになりたくない人格欠損者ですが、それゆえにツッコミ所が存在し、茉莉花がそこにツッコミを入れてることで、非常にキレのあるギャグやブラックユーモアになっていました。だからこそ、かなこ側が常識人として鞠也に対立する構図が成立し面白かったのです。それを茉莉花が鞠也が組んでかなこへ罵倒しつづけて、二人組のほうを「正論側・常識人側」に配置したのでは、一方的に毒舌で攻撃する側の理不尽さと、される側の悲惨さだけが強調され、面白さと言うより、単なるイジメと化し笑えなくなってきます。
これはたとえばイヤミな上司が部下の失敗をネチネチとイヤミを言ってる様子を見ていて面白いわけがないのと一緒で、つまらないのが当然なのです。
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どうも成績面でのビハインドをかなこに付け加えたあたりから、作者は「かなこをあしざまにいじめまくる=イジリの面白さ」だと勘違いしはじめたように思えます。試験勉強失敗や、行事の無知、ダイエット失敗、行きすぎた百合趣味や、奇行をとがめられる回───などなど、かなこのバカさや意志薄弱性などのダメ人間っぷりを強調し貶めるエピソードを繰り返すようになっていったからです。
たしかに主人公は読者の自己投影アバターの働きもありますから、ダメな部分に共感が得られやすいのですが、これはしつこすぎますし、あげくはキャラ人気が低いからと言って主人公不在のエピソードまで行くと、作者が物語内の役割分担を見失ってるんじゃないかという危惧も出てきます。
鼎神父や寮長の話などを絡めたエピソードなど、マンネリにならないよう試行錯誤しているのかもしれませんが、余りよい方向に行っているように思えないのが残念です。