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明晰な頭脳で知られる著者だけあって、独自のフィールドワークの部分や、切れ味鋭い現状分析の部分については興味深く読ませていただきましたが、具体的な改善案を提案する部分を読んでいるときには、頭の中で警報機が鳴りっぱなしでした。その理由は、著者独特の語り口にあるように思います。
たとえば、著者は「システムの問題と個人の実存の問題を区別しなければならない」と言っていますが、何がシステムの問題で何が個人の実存の問題かは、理論だけで自動的に決まるものではなく、何らかの価値観に基づく社会的選択の問題ではないでしょうか。
著者は、少女の売春などをシステムの問題とし、オウム事件のような「終わりなき日常」に耐えられない人々の犯罪を個人の実存の問題とみなしているようですが、なぜその逆(あるいは、どちらもシステム・実存の問題)でないのか、ということは、それほど自明なことではないはずです。
そもそも、分析や批判は論理だけでもできるかもしれませんが、なんらかの価値観に基づかない改「善」案などというものは、それこそ論理的にありえないはずで、その前提となる価値観を明示せず、すべてが自明の前提に基づく当然の結論であるかのように書く著者の文体は、私のようなものにはかなり欺瞞的に写りますし、著者の主張に納得できない人には、なにかたちの悪い詐術にひっかかったような印象を与えるのではないでしょうか。
そのような矛盾はいろいろなところに現れていて、たとえば、「価値観は構造的メカニズムの派生物に過ぎない」のなら、「ロマンチシズムに固執する大人世代」に宮台先生が説教するのもムダだということになるはずだし、「共同体が失われ、一神教的な父なる神のいない社会では、原理的に良き父親と悪しき父親の区別ができない」のなら、いくら個人の自己決定能力を鍛えたって、それがよい方向に収束する保証などないのではありませんか?
著者が多用する、「社会学では」とか「社会システム理論では」というフレーズも、ややコケ脅し的に響きます。そもそも、社会科学がどこまで客観科学足りうるのかということ自体、一定の留保が必要なのではなかったでしょうか。
そんなわけで、素直な人や、理屈や権威に弱い人には、正直あまりお勧めしたくない本なのですが、もちろん、賛成できる部分もあったし、それなりにインフォマティブでもあったので、星3つ。
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