この主人公の持つ弱さ、臆病さ、浅はかさ、傲慢さ・・・これって今となっては懐かしい太宰治のエッセンス、そう“自意識過剰”ってやつである。実際エマニュエル・ボーヴは太宰と同時代の作家で、この頃って“自意識”っていうのが世界的にも文学の主題だったのだな、ということがわかる。この太宰的なるもの、“自意識過剰”って、青春のはしかっていわれた時期もあるけど今時はどうなのだろう。やはり普遍的なものなのだろうか?それともコージ苑の太宰のように“ネクラ的なもの”ってことでポストモダン的に雲散霧消しちゃったのだろうか?確かなのは、久々にこういうのを読んで、とっても新鮮に感じられたって事実である。
この小説、一言で括れば、怪物ランド平光琢也のウソップランドネタ「だって友だちになりたかったんだもん・・・」なのだが、“友だちが欲しい”っていうのは、はっきり言ってしまえば自己存在感、アイデンティティーの問題なのだ。他人に認められたいって、いっつもこの主人公は思っている。でも本当にほしいのは“友だち”じゃなくて“自分”なのである。結局、“自分に都合の良い友だち”だけを求めている主人公にはいつまで経っても友だちは出来ない。主人公にとっては“自意識、妄想”こそが友だちなのである。
この小説は、主人公の救いようのない底なしの孤独と、その裏腹の他人への期待過剰、勝手な思い込み、余裕のない自己中心ぶりを、客観的に、ユーモア、ペーソスに転化している。やっぱ、こういう心理状況って“青春のはしか”的通過儀礼として、多かれ少なかれ誰にでもあるものだと思うし、主人公の置かれている境遇が今で言う“ニート”である、という時代性もあってすっごくフレッシュである。これ、若い人にはとっても良い小説なんじゃないでしょうか。