NYの女子大の行事としてプエルトリコに調査旅行にやってきたジュリアと崎子の日記が交互に綴られる。
ジュリアは無知で傲慢な「知的アメリカ女性」で、黄色人種を見下して、プエルトリコは「概して知能が低く、発展のためにはアメリカの指導と援助が必要」だと考える。
一方崎子は同じプエルトリコの貧しい現状をみて、資本主義の原理やアメリカの植民地政策の結果をみる。(本作は1964年なので、「知的であっけらかんと生きる」女流作家が描く人物のはしりなのかな?)
日記や夢の形式で読ませる作品って難しい。漱石や三島もそういう形式で書いた作品はあるけど、それらが鑑賞に耐えるのは、言うまでもなく彼らが優れた作家だからだ。
ほかの男性には一切デートに誘われず、ジュリアをはじめとした周囲から「日本人は理解できない」とされる崎子だけど、自他ともに認める「プエルトリコのホープ(家柄も魅力もずば抜けた男性)」であるホセは崎子にぞっこん、求婚に至る、なんてのも都合良いなあって感じ。(そこから政治的な話になって「我々は独立を目指す、キューバのようにアメリカを敵にまわすのではなくて」云々というのは、話題としては興味深い。今後調べたい)
ジュリアの傲慢なのも、「委員長として皆を統率しなければならないし、私にはその能力がある」みたいな感じに始まって、最後まで「今回の調査旅行は予想の範囲内であり、特に目新しい発見はなかった(大人の魅力を備えたボーイフレンドを見つけることができたのは素晴らしい、私の将来は当然輝かしいものだろう)」だからな。崎子ともプエルトリコともすれ違ったままだけど、こうして彼女は「知的アメリカ女性」としてキャリアを積んでいくことでしょうって不気味な感じはあるけど、ムカムカした物足りない感じが読後も残る。