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516 人中、455人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 1.0
キリスト教に対する「誤った理解」の典型例,
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レビュー対象商品: ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書) (新書)
社会学者の橋爪大三郎と大澤真幸が、対談形式でキリスト教について語り解説した本。役割分担としては大澤が進行と質問役、橋爪がその問いに答えていく解説役になっている。ただし大澤も単なるインタビューアーではなく、橋爪の解説を適時補ったり、質問する際に話題を膨らませたりして、全体としては双方が対等な立場で語り合う対話や討論になっている。話題は聖書やキリスト教にとどまらず、古代ユダヤ教の成立から初期キリスト教の異端グノーシス、さらにヨーロッパ近代社会の成立から現代日本の課題まで多岐にわたる。キリスト教についてほとんど知識を持たない人が読めば、知的好奇心を満足させてくれるいい読書体験になること請け合いだ。アマゾンの読書レビューで点が高いのもうなずける。ただしこの本、キリスト教や聖書についてのまともな知識を多少なりとも持ち合わせている人間が読むと、ひどく読むのに難渋するストレスの多い本になってしまう。理由は簡単で、書かれている内容にあまりにも疑問点が多いからだ。単純な間違いや勘違いも含めて、キリスト教や聖書についての一般的な常識からかけ離れた話を、さも事実であるかのように語っている部分が多すぎる。これは信仰の有無や解釈の問題ではない。「歴史的な事実」のレベルでの話だ。 こうなってしまった理由は、著者たちのキリスト教理解が聖書にのみ頼っているからだ。聖書に頼った結果、キリスト教成立について考える際、どうしても避けて通ることのできない中東地域のヘレニズム化についての解説がすっぽりと抜け落ちてしまう。これでは1世紀のユダヤ人たちに共有されていた独立やメシアに対する待望論がまったく理解できないではないか。また初代教会から古代教会に至るキリスト教史についても、歴史年表程度の簡単な知識しか持っていない。著者たちが三位一体や両性説といった基本的な教義の「歴史的な必然性」について、まったく理解することなく我流の解説をしているくだりには暗澹たる気持ちになる。三位一体や両性について自分の言葉で解説できないなら、ニケア・コンスタンティノポリス信条やカルケドン信条、アタナシオス信条などを、そのまま引用すれば済む話なのにそうしていない。たぶん著者たちはこうした信条の存在を知らないのだろう。 古代教会から中世までの教会史を乱暴に駆け足で解説した後、話は宗教改革以降の近現代に入っていく。ここで語られているカトリックとプロテスタントの違いや、プロテスタント信仰の特徴などを読む限り、この著者たちが実際のプロテスタント教会に足を踏み入れたことがあるとは思えない。『(プロテスタントでは)教会堂もなくてよい。儀式もなくてよい。極端を言えば、聖書さえあればよく、自分と神だけが対話している、これが理想です』などと言われると、この著者たちのキリスト教理解のデタラメぶりに頭を抱えるしかない。プロテスタント教会にも「典礼」や「暦」はあるし、古代教会から伝えられた秘蹟(儀式)として洗礼と聖餐がしっかり残っていることを忘れ去っているらしい。 聖書だけ読んでもキリスト教は理解できない。キリスト教は聖書と教学(伝統的な教義)によって成り立っていると、この本の中で著者たちも力説している。しかしその教学を、著者たちがまともに学んだ形跡がまるでない。カトリック教会のカテキズムは読んでみたのか? ルターやカルバンが一般信徒向けに書いた信仰告白や教理問答には目を通したのか? マックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」も大事だろう。しかしヴェーバーの本でキリスト教の教義を学んだ気になるべきではない。
291 人中、250人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 1.0
お気楽なスノビズム,
By 編集素浪人 "ディオゲネス" (横浜市青葉区) - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書) (新書)
社会学者という人種の軽薄さを際立たせるだけの代物です。宗教的感性をまったく欠く人間が出来合いの意匠だけで宗教を語ると、こういう仕儀になります。新奇なことを言っているつもりでも、内実はあきれるほど通俗です。キリスト教に宗教法はない? この人たちはカノン法あるいは政治神学を知らないのでしょうか。三位一体論は学説? 至高の秘儀/秘義と考えているカトリックが怒りますよ。キリスト教がわかっていない指数トップに日本人を挙げる神経もどうでしょう。評者などはキリスト教を欧米人以上に内面化している日本人が予想外に多いのに困惑しているほどです。そもそも、わかったうえで帰依しない選択も持つのが成熟した人間でしょう。 参考文献の貧弱さには目を覆います。この程度の読書量で語っているとしたら、それこそスキャンダル。勉強が必要なのは何よりご両人ということになりますね。
358 人中、306人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 1.0
間違いだらけのふしぎなキリスト教本,
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レビュー対象商品: ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書) (新書)
著者らによれば、西洋近代文明を理解するためにはまずキリスト教を理解しなければならない。御説ごもっとも。しかしそういうわりには、キリスト教について根本的な無知が目立つ。そもそもキリスト教会の実態についてリサーチしたとは思えない。たとえば、「祈りのあり方は、キリスト教とイスラム教ではちょっと違っている。キリスト教の祈りは、外からは見えない。これみよがしに祈るな、とイエスが命じたから」(p.67)とある。もちろんプライベートな祈りというものもあるが、公共の祈りとして教会における礼拝がある。教会のミサに参与したことがあれば誰でもすぐ分かることである。 歴史認識もひどい。 「東方教会と西方教会が分裂したのは、スポンサーであるローマ帝国が、テオドシウス帝の死後、東西に分裂したからです(三九五年)。分裂してしばらくすると、両教会合同の公会議が開けなくなった。道中の警護や経費の負担ができないからです」(p.256) 「東西教会の分裂の原因は東西ローマ帝国の分裂(分割)である」という命題なら、100パーセントの間違いとは言えないが、あまりに遠因すぎる。通常は、聖霊の発出をめぐる議論いわゆる「フィリオクエ問題」と、ローマ司教の至高普遍裁治権(教皇権)の問題が原因に挙げられ、諸説はあるが大分裂は1054年相互破門事件の年に置く。なにより、「しばらくすると、両教会合同の公会議が開けなくなった」と述べているが、476年西ローマ帝国の滅亡後も普遍公会議は開かれており、第6公会議は680-681年、第7公会議にいたっては787年である。 ほかにも、「キリスト教は一神教なのに、宗教法がない」(p.269)とか、「カトリックは、(・・・)宗教改革のあと、いろいろ批判されて、(・・・)煉獄とか免罪符とかの教義はすべてなくなった」(p.293)など、ごく初歩的な間違いが散見される。 ふしぎなのは、キリスト教を知らずにキリスト教を語る社会学者の頭の方である。
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