「ふざけるな校則!」子供達の多くはこういった念を抱くだろうか。抱くかもしれない。著者のように半ば政治的活動的なレベルでなくても「この校則うぜぇなー」とか「この校則いらないだろ…」とか「そんな事どうでもいいだろ…」「別に個人の勝手でしょ…」「うちの学校厳しすぎる…」とか、そういう風に愚痴ったりぼやいたり、それは多くの子供にはある経験かもしれない。社会にはルールが必要でルール無しの箍の外れた自由は社会を滅ぼし人に害を与えて自由をコロす。なんらかのルールが必要なのは、多くの人が納得する事のはずだ。だけど次に重要なのはそのルールの内容だろう。何か残酷なルール、何か独裁的なルール、何か一部だけが得をするルール、成員の多くの同意をなんら得ていないルール、必要のないルール、不合理なルール…こういったルールはどうだろうか。私はこういったルールを「善くないルール」と感じ「ふざけるな!」とか「変えるべき!」とか「こんなルールならない方がマシ!」と感じる心はとても大事だと思う。それは人としても大切だし、道徳的にも重要で、民主主義としても必要な事だ。そして校則というのは必ずしもそういう快く受け入れるための条件を満たしてはいない。むしろしばしばそれは不合理で納得がいかず、しかも勝手に決められており、改正権のようなものは一切なく、抗議すら許されず、必要性も十分には説明されず、時に人権や憲法にすら反している。そういうものに対して「ふざけるな!」「こんなのいらない!」と叫ぶ事が何故「行き過ぎた自由」とか「人権の暴走」とか「自由をわがままと履き違えた暴挙」と右傾の人に言われるのか。私はそういう考え方は自由主義でも民主主義でもないと思う。
子供達には是非とも自分でルールを作る、あるいはそこまでいかなくても関与したり意見を言ったり、合理性を求めたり、そういう心を養って欲しいと思う。別に何か政治的になったり生徒会役員になったり、学生運動をしたりと力む必要はない。ただ「この校則って別にいらないんじゃない?」「この校則って余計なお世話すぎるんじゃない?」という誰でもが持ちうる単純な違和感を少しだけ強く表明して、追求してみるだけで十分なのだ。「ふざけるな!」という声にまで引き上げるだけでも…
法律ですら悪法には従わなくていいのではないか、という考え方がある。民主主義国家の法律なら曲がりなりにも国民が関与して、全員ではないにしても一応は承認したものだ。だけども校則というのは大抵が生徒という国民にあたる人達の意見を一切取り入れずに予め決められ押し付けられてしまっている。その事を考えると、校則の正しさなんて本当にたかが知れている。子供達はもっと堂々と校則に反感を持っていい。