兄のお弁当を届ける為に大学にやってきた小学生、正が偶然知り合ったのは、怖い話を用意して読み聞かせ、互いに感想を言い合う、西戸教授とゼミの生徒の面々だった・・・。
日本の怖い話というのは、ある程度わからないところがあるほうが、たとえ9割方はっきりしても1割は謎の部分が残る、それが怖いというのが常識になっている気がする。
では、そのわからない部分について、想像して意見交換してみたらどうか。
そして、もし、どこかの大学のゼミの一室でゼミ内容としてそれが行われていたら、というのがこの話の基本プロット。
主人公の正君が語る「むらさきばばあ」の逸話は著者の脚色が加えられているが、当時では生の声として実際に存在していたのだろう。
正君の「恐怖の心霊写真集だってパート6まで持ってる」というセリフはおそらく常光徹の旧「学校の怪談」を指すと思われる(現在新シリーズが刊行中)。
私もこの本の初版を小学校の定期申し込みの時に買い、旧「学校の怪談」もリアルタイムで買っていた一人であるので、正君のそういう妙なこだわりには愛着がある。
作中で恐怖の解き明かしについても、二つの議論が展開している。
「富士見トンネル」では、「血みどろが怖いのは小学生」と大学生は言い切り、西戸先生も「血みどろのほうが不気味ではあるよね」と助け舟を出して終わるが、正は納得できない。
現在も特集などが組まれる心霊番組はおよそ血だらけであることのほうが多いので、その「小学生」レベルの怖さを一般人レベルでは定着していることをこのゼミではどう捉えるか聞いてみたい気はする。
ゼミの面々はアメリカのスプラッター映画のようなものへの嫌悪感を指して言ったのかもしれないが。
また、「天井からこんばんわ」では「本当にあった話です」は必要か、どうか」の議論が展開している。
最終結論として、西戸先生は「『これは本当にあった話です』というのがもう話の一部だってこともあるんだ、その部分も作り話に含まれている。実話かどうか問題にしてもあんまり意味がない。ほとんどの場合、本当かどうか調べようがないんだ。」、と述べている。
これを読むと、案外、斉藤弘のほかの本、例えば、小学校時代に著者自身の体験した奇怪譚も“本当かどうかは別に問題にしてない”と受け取ることはできないだろうか。話を語る上での前置きに過ぎません、と。
案外、ここらへんに創作や恐怖譚の真髄が隠されているような気が私はする。
そんな小難しいことを考えなくても、さかさまに現れる少年、黒いジョギングスーツに狐の面の男の子(←自主制作の映画のアイディアの参考にさせてもらいました)、川の中に笑って消えた少年等、淡々と迫ってくる恐怖、奇怪さ、不気味さ、そして切なさに満ちた各々のエピソードは面白い。
エピローグにも正君が驚愕の事実を知らされるあっと驚く結末が用意されているので飽きさせない。
良質で面白い怪談話なのでぜひ子供さんへの読み聞かせやご一読を。