まず、著者は、自らひきこもりであったことを認めてしまう。それから、自分の少年期の経験に照らし合わせてみて、不登校の子供たちは異常なのではなく、教室に流れる「偽の厳粛さ」を見抜くほど、鋭い感覚の持ち主なのではないのかと思い当たる。
そんなふうに心の内側から光を当ててみると、大人が家にひとりでこもることもあながち悪いことではなくなってくる。コミュニケーション能力ばかりが重要視されすぎているせわしない現代社会で、「分断されない、ひとまとまりの時間」を自分のために持つには、いい機会ですらある。なぜなら「世の中の職業の大部分は、一度はひきこもって技術や知識を身につけないと一人前になれない種類のもの」ばかりだからだ。
随分とさっぱりした結論で、もの足りなくも思えるが、これが吉本流の切り口なのだろう。誰もが考えそうな当たり前のことを、的確に言語化するという凄みがここにはある。団塊の世代に圧倒的な支持を受け、それ以降の世代に吉本アレルギーさえ起こさせた独特の語りが、本書でも十分に味わえる。(金子 遊) --このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。
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欧米で「イントロバート introvert」(内向的)と言うと、ほとんど病気と見做されると聞いたことがありますが、日本人の在り様は本来内向的なもののように思います。また、そうであることを深いところで許容してきたと思います。昔話しに「三年寝太郎」というのがありますが、あれは、まさに、引きこもりと引きこもりが産み出す力について述べているように思います。寝てばかりいて困った奴と見做されている人物がイザという時、ムクムクと起き出して、困った奴と見做していた周囲の人々の救世主になるという話です。話し全体としては、「寝太郎」を高く評価するものとなっています。
アメリカナイズされた現社会では「エクストラバート」(外向的)志向で、それから外れますと、今引きこもりの人たちがそうであるように、いわば「十字架」を背負わなければならなくなります。
今流行の「グローバルスタンダード」(実際にはアメリカンスタンダード)など、本来内向的な私たち日本人を絡め取り、踊らせようとする動きがありますが、それに無理して合わせようとするのは、「盆踊り」しか知らない人間が「フォークダンス」の輪に、入り込み、連なろうとするようなものだと思います。ぎごちない踊りしか所詮できないでしょう。転ぶのが関の山です。・・・などと、思いつつ私は読みました。
そんなわけで、この著作は、自分は現社会でうまくやっている、うまく踊っていると思っている人ほど、読むに値するものとなる本であるように思います。
そういえば、たいへん印象的な写真も掲載されていました。泣く子も黙る批評家吉本隆明のサンダル、それも決して高価ではないサンダルの大写しです。はたしてそれはなんの象徴でしょうか?
それを解明するのも楽しい試みとなるかもしれません。どうぞご一読くださいませ。
ひきこもり、というのは本当につらいものです。そういう条件を持った人間にしか分かりません。ひきこもっている当人にもいったい何がなぜつらいのか分からないんです。だから、戦後の混迷期とたぶん同じなのです。価値観が暗黙のうちにまったく変わってしまって、なぜか分からずに混乱したのでしょうから。それに加え、著者はひきこもり的な資質を持っていた。その二重の混迷を生きてきた著者が語る言葉は、半世紀近く歳の離れた若者たちの混迷に有効な言葉となっていると、私は思いました。
とてもやさしく心に自然と入ってくる言葉に年を重ねた大いなる知恵を感じました。実際に「智慧の実を食べよう。300歳で300分。」でお話を聞きましたが何を言っているかよくわからないけれど、すごいことを言っている人なんだということがひしひしと伝わってきました。この本でも裏に吉本さんが伝えたい想いが伝わってきました。
ひきこもりでいる時間。一人でいる時間を自分の意志で選択して自分自身にプレゼントをすることを決めました。
きっと人によって伝わってくるメッセージが違います。
それをじっくり味わう本なんですね。めったにない良書だと思います。
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