著者の斉藤環先生は、「ひきこもりが治る」ということを「自由になること」と表現している。「自由になる」ということはあらゆる価値観や信条に関して「縛られない」ということである。
まず、ひきこもりからの脱出=まともな職につくこと、という固定観念を捨てることが前提となる。家族と同居している場合も、叱咤激励したり厄介者扱いしたりするかわりに「あいさつ」をし、「声をかけること」を薦めている。また、職につかせようとあせったり、医療機関への受診を強制することは解決とならないどころか、ひきこもりを通じてぎりぎりのプライドを保っている当事者をさらに追い詰めてしまうという。「安心していられる居場所」をつくることが第一歩なのだとしている。
ひきこもっている若者たちは、言葉や行動で家族を攻撃するかもしれない。けれど彼らの多くは「自分はダメな人間だ」と感じている。家族に対する攻撃的な言葉や行動も、社会からの逃避も、自らの思い通りに動けない若者たちの苦悩の表現なのだ。
そのうえで、「将来設計」に関して必要なこと、有意義なことを段階的に進めていく。たとえば家族内で、面倒を見られるのはいつまでか(金銭面)、両親が働けるのはいつまでか、相続などについても具体的に話し合っておく。
ひきこもりを「治療の対象」とすることは短絡的なのかもしれない。家族でない第三者が声を掛けること、仲間と接する場所をつくること、本人が望んだときに就労支援に結びつけること、などがひきこもりからの脱出の糸口になるケースも多い。ひきこもり=怠け者or堕落者というレッテルを剥がして「ひきこもり能力」があるというように見かたを変えること(リフレーミング)も有効らしい。
治療者に対しては「治療の快楽」に浸ってはいけない、と警告すると同時に、本人および周囲の人に対しては「治療美談」(あのDr.が・・・あの人と出会ったことが、私の人生を変えた!というような劇的な体験談)を鵜呑みにしてはいけないとも書かれている。
*個人的に「治療美談を鵜呑みにしない」という教訓は納得できるところがありました。一時的な判断で大金を失い、それがまた自信喪失につながることがあるからです。
結論的には、本人の意思を尊重し、「やりたいことがあったらやってみる」ことを勧める。
一方「何もしたくない人」に対しては、援助を打ち切ったり就労に結びつけるのはしばしば致命的な結果をもたらす。それよりも、仲間集団とのかかわりを通じてコミュニケーションの機会を増やしていくことが長い目でみて有効だという。
ひきこもっている本人が、自分らしく生きられるような環境を調整し、本人の自信を育んでいくことが重要なのであろう。