はじめて読んだときには意識しなかったが、「ひかりごけ」の前半にアイヌ出身のアイヌ研究者M氏という人物が登場する。この人物の経歴から見て、彼は以前武田泰淳と北大で机を並べた知里真志保であることはまちがいないだろう。ここに知里が登場することで、あらためてここに収録されている四編に共通する主題に気がついた。
武田泰淳には、辺境に住む者、異形の者、そして虐げられた者への深い共感がある。それはおそらく中国文学者であり、中国の文化・人民に深い愛情を抱きつつ、彼らを殺すものとして戦場に立たなくてはならなかった彼の体験が影響しているものと思われる。この四編に通じて流れているものは、自らを「正しい多数派」の側に置かず、少数派の論理、犯罪者の言い分をあえて共有しようとする姿勢である。
特に彼の怒りは、かたち上その少数者たちに共感するようなポーズを取る「偽善者」に向けられる。寒村での原始共産制を研究しようとする大学人に対する怒りというかたちで「海肌の匂い」では登場するこの感情は、大作「森と湖のまつり」でさらに深化されて再登場することになる。
「ひかりごけ」ではこの姿勢がストレートに提出されている。人肉食いという「倫理的に言語道断」という犯罪を無邪気に糾弾しようとする「多数派」に対する作者の倫理的糾弾は本作に現れている通りである。
文学史上に残る名作のひとつである。