映画「レザボア・ドッグズ」を見たとき、冒頭五分ぐらい男たちが飯を食いながら相当どうでもいいことをしゃべりつづけて全然おはなしが始まらないので「なんだこれ?」と思った。
「ねたあとに」は、あの冒頭五分間がずっと続くような小説という感じ。
山荘に大人が集まって、いろんな遊びを遊んでいる。
いつおはなしが始まるのかと思っていると
なんと、始まらない! すごい。
アッコさんという巨乳の女の人が出てくるけど、恋愛もなし。
男たちがひたすら遊ぶそばでただ揺れているだけ(もったいない)。
それは小説として面白いのか?
意外にも、面白いのだ!
人生の成分を「ドラマチックなできごと(意義深い出会いや別れ、身を焦がす恋愛、人間的成長など)」と「それ以外のなんてことのない日常」とに分けると、人生の99%の時間はきっと後者だろう。
今まで小説は前者(ドラマチックなこと)を書くものだとなんとなく思っていたけど、後者「だけ」の小説があったっていいじゃないか。
むしろ後者のうちに語られるべき面白い細部がいっぱいあるんじゃないのか?
「ねたあとに」はそう言っているようだ。
(そういえば漱石の「猫」だって、大のおとなが遊びだべる「だけ」の小説だった。)
日常の細部は人生の大きなドラマと同じぐらい面白い。
長嶋有はデビュー以来そう言いつづけてきたと思う。
「ねたあとに」はそれを突きつめ、ドラマを徹底排除したあとに「何か」が浮かび上がってくるじつにスリリングな小説だ(しかしこんな壮大な実験をよく新聞連載でやったものだ)。
真剣に遊ぶ地球人を、宇宙人が上空から見てつづった観察日誌みたいな面白さ。
初めて読む長嶋作品にはお薦めしないが、間違いなくいちばんエッジな長嶋作品。
作家コモローの山荘に招かれた気分で、一晩に一章ずつ読むことをお薦めします。