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嫌なもの嫌なことのない暮らし、見つけた!東京モンの夫婦が能登に移住して18年。気がつけば日々楽しくて面白いの連続。漆職人赤木明登氏夫人が、どこにでもありそうでどこにもない優しい暮らしを綴る。
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出版社/著者からの内容紹介
師(ぬし)・赤木明登さんはみんなを誘う。
「うちでゴハン食べましょう」
そこで智子さんは、おいしいゴハンを楽しく作る。せっせと作る。
食卓に並ぶのは、使い込まれたぴかぴかの漆の器。
さあ、どうぞ。いただきます!
能登のお山のふつうの暮らし 初めてのエッセイ
今から19年前のある晩のコト。いつものようにお酒をたくさん飲んだウチのダンナ様が、帰ってくるなりさけんだ。「ボクは仕事を辞めて職人になるぞう」パオーン。と仁王立ち。私はすかさず、「ほうほう。そうですか。そうですか」と相づちを打った。<「はじまりはじまり」より>
「うちでゴハン食べましょう」
そこで智子さんは、おいしいゴハンを楽しく作る。せっせと作る。
食卓に並ぶのは、使い込まれたぴかぴかの漆の器。
さあ、どうぞ。いただきます!
能登のお山のふつうの暮らし 初めてのエッセイ
今から19年前のある晩のコト。いつものようにお酒をたくさん飲んだウチのダンナ様が、帰ってくるなりさけんだ。「ボクは仕事を辞めて職人になるぞう」パオーン。と仁王立ち。私はすかさず、「ほうほう。そうですか。そうですか」と相づちを打った。<「はじまりはじまり」より>
内容(「BOOK」データベースより)
塗師・赤木明登さんはみんなを誘う。「うちでゴハン食べましょう」そこで智子さんは、おいしいゴハンを楽しく作る。せっせと作る。食卓に並ぶのは、使い込まれたぴかぴかの漆の器。畑の野菜、手作りの干物、土鍋で炊いた白いゴハン…。能登のお山のふつうの暮らし、初めてのエッセイ。
内容(「MARC」データベースより)
塗師・赤木明登はみんなを誘う。「うちでゴハン食べましょう」 妻の智子は、おいしいゴハンを楽しく作る。食卓に並ぶのは、使い込まれたぴかぴかの漆の器。さあ、どうぞ。いただきます! 能登のお山のふつうの暮らしを綴る。
出版社からのコメント
嫌なもの嫌なことのない暮らし、見つけた!東京モンの夫婦が能登に移住して18年。気がつけば日々楽しくて面白いの連続。漆職人赤木明登氏夫人が、どこにでもありそうでどこにもない優しい暮らしを綴る。
著者について
1962年東京生まれ。東京学芸大学卒業後、新宿の「ギャラリー玄海」に勤務。現代陶芸作家を中心に個展を企画。87年、雑誌編集者の赤木明登氏と結婚。その2年後、明登氏が漆職人の修行を始めるために輪島へ移住する。自身も職人仕事の「研ぎもの」の技術を一年間学校に通って本格的に習う。94年、明登氏が独立。現在の地に家と工房を建てる。一男二女の母。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
赤木 智子
1962年、東京生まれ。東京学芸大学在学中にインドを旅し、この時考えたことが今の生き方のもとになる。大学卒業後、新宿の「ギャラリー玄海」に勤務。現代陶芸作家を中心に個展を多数企画。87年、雑誌編集者の赤木明登氏と結婚。その2年後、明登氏が漆職人の修業を始めるため、輪島へ移住する。自身も職人仕事の「研ぎもの」の技術を1年間学校に通って本格的に習う。94年、明登氏が独立。現在の地に家と工房を建てる。1男2女の母。05年、東京・板橋のギャラリー「fudoki」にて『赤木智子の生活道具店』を企画プロデュース。好評につき、06年秋にも「fudoki」と三重県伊賀市の「ギャラリーやまほん」にて道具展を開催の予定(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1962年、東京生まれ。東京学芸大学在学中にインドを旅し、この時考えたことが今の生き方のもとになる。大学卒業後、新宿の「ギャラリー玄海」に勤務。現代陶芸作家を中心に個展を多数企画。87年、雑誌編集者の赤木明登氏と結婚。その2年後、明登氏が漆職人の修業を始めるため、輪島へ移住する。自身も職人仕事の「研ぎもの」の技術を1年間学校に通って本格的に習う。94年、明登氏が独立。現在の地に家と工房を建てる。1男2女の母。05年、東京・板橋のギャラリー「fudoki」にて『赤木智子の生活道具店』を企画プロデュース。好評につき、06年秋にも「fudoki」と三重県伊賀市の「ギャラリーやまほん」にて道具展を開催の予定(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
