この素晴らしい本が文庫本となり、また発行されることになって良かったと思います。これまで西日本新聞社が頑張って発行してくれていました。余裕のある方はそちらも読んでみては如何でしょうか。
私はこの本に涙したのは哀しかったからではありません。貧乏や、生活の苦しさに同情したからでもありません。 著者の末子さんはじめ、兄弟姉妹の、お互いを思いやるこころや、銭湯で出会ったみすぼらしい服を着た母娘に対する末子さんの人間に対する偏見のない愛情に、涙するのです。
日記の一部を引用します。
〈四月八日 水曜日 晴〉
(前略)つくえからべんとうをとりだして、にあんちゃんの組に持って行きました。けれど、にあんちゃんはおりませんでした。まさか、私がべんとうを持ってくるなど、ゆめにも思わず、あそびに行っているのでしょう。
私は私がひもじいなら、にあんちゃんだってひもじいだろう。しかも男だからとびまわっているし、そのうえ、六年生なので帰りがおそいから、なお、はらがへるだろう。四年生は、おそくても三時には、家に帰られるからいい、と思って、持ってきたのです。
だけど、にあんちゃんがいなかったので、今まで思っていたことがなんにもならず、がっかりしてしまいました。せっかく持って行ったのに、だめになったので、そのまま家に持って帰ってねえさんとふたりでたべました。ふたりでたべたといっても、ねえさんは、ふた口ぐらいしかたべていません。
〈四月九日 木曜日 晴〉
(前略。この日も末子さんはにあんちゃんのところへ行きます。)
「にあんちゃん」とは、二ばんめのあんちゃんだから、二あんちゃんで、高一兄さんのことです。お父さんがまだ生きておられたころ、私が「高ちゃん、高ちゃん」といっていたので、それはいけないといって、二年生のとき、お父さんがつくってくださったよび方です。
にあんちゃんがきたので、
「末子たべんから、べんとうやるけん、とりおいで」というと、
「そがんことせんで、おまえたべれ」といってしかられました。
にあんちゃんだって、ひもじいのです。それでも、私を思ってたべないといわれたのです。にあんちゃんがたべなかったので、私もたべませんでした。
*****
両親が亡くなって兄弟姉妹で戦後の昭和20年代の貧しい時代、しかも在日韓国人ということで臨時雇い、一家を支えていた長兄の給料は日本人より安く、やがて炭鉱不況で首を切られます。社宅は出され、苦難はつづく。そんな中にあって、この兄弟姉妹の互いを思いやる気持ち、やさしさは変わらない。
そして、もうひとつ瞠目するのは、にあんちゃんの度胸だ。次のは東京に働きに行こうとする中学生の、にあんちゃんによる文章です。
*****
東京がぼくを呼んでいる。ぼくはいま、東京へ行こうと決心しているのだ。
日本の首都、東京。一度行って見たい。行ってみようと思う。行けばどうにかなるであろう。死にはすまい。いや、死ぬのをおそれてはいけない。まあ、行けよだ。こじきしても、東京でする方がましだ。
*****
映画「にあんちゃん」のシナリオを隆慶一郎が書いたのも納得できることです。
「
般若心経物語」の著者は、隆慶一郎のファンということですが、この本にも「にあんちゃん」の文章が引用されていて感動します。