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2 人中、2人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 3.0
科学哲学者論,
By あぎ "ε-δ" (東京都文京区) - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: なぜ科学を語ってすれ違うのか――ソーカル事件を超えて (単行本)
本書はオリジナルの科学論を述べた本ではない。科学哲学者をその説に従って何々主義、何々学派と分類し比較し批判したものである。科学論ではないと書いたが著者の科学観は述べられている。科学論の本は何冊か読んできた。若いときに読んだせいもあるかもしれないがマックス・ボルンの著書には感動した。カール・ポパーには全面的に賛成という訳ではないが科学を志す者が読むべき本と感じた。アラン・ソーカルは主張の一部には不賛成でも科学に対する考え方には共感できた。しかし科学の中にいる者から見ると本書は科学の外にいる人が描く絵空事に感じてしまう。同じように相対主義や社会構成主義を批判するソーカルに共感できてジェームズ・ロバート・ブラウンに違和感を感じるのは、ブラウンはソーカルと違い直接に科学からではなく科学哲学者の著書を通じて科学を学び語るためではないかと思う。科学の中にいる人と外にいる人の違いである。自転車の乗り方を本で学べるかという話と同じで、科学の研究を体験した者でなければ実感できない部分がある。著者は理論をある日ポンと生まれある日違う理論に取って代わられるという(単純化すればだが)理解をしているように思える。しかし現実の理論はあちこちで芽を出しそれが統合され修正され分岐しまた統合される。そのような複雑な発展をする。実験結果を説明できなかったとしても全体が棄却されるのではなく間違いが修正されて復活する。「古い量子論」があったのではない。それは現在の量子力学の幼年時代なのだ。単純化はそのままでは見通しが悪く理解が難しいものを扱うための便法であるが、往々にして本質的なものが単純化で失われる。複雑なものも可能な限りそのままの状態で扱わなければならない。 著者が数学と自然科学を同列に扱っているのも気になった。数学は人間が作った定義と公理から演繹的に導かれるものである。自然科学の目的は自然とは何かを探ることで研究は実験や観測とその結果を解釈することであり帰納が主体となる。どちらも文科系の人から見れば理科系の学問かもしれないが両者の方法論は異なる。 本書は科学哲学にはどんな説があるかを概観するには良いかもしれない。しかしその基準はブラウン独自の物差しである。ポパー、クーン、ソーカルの著書を直接読むほうが優る。他人の目を借りるのではなく自分の目で判断すべきである。さらに言えば少なくとも現時点の科学哲学は科学の研究を行なう、あるいは科学を理解する上で必須と言えるほどの発展をしていない。もちろんボルンやポパーのような例外を除いてではあるが。 社会構成主義は北米では信奉者が多いのだろうか。ピーター・バーガーやケネス・グーゲンを読んだ程度の理解だが、少なくとも社会的なもの、道徳や哲学や宗教などを考えるには興味深い説だと思う。科学が共同幻想だとしても良いとさえ思う。現世の富や名誉を否定する宗教があるが、その僧侶でさえそれを求めている。構成主義を信奉する科学者がいても良いではないか。
2 人中、2人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 4.0
非常に優れた分析的な著作、しかし…,
By いとみみず (田んぼとかにいます) - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: なぜ科学を語ってすれ違うのか――ソーカル事件を超えて (単行本)
科学論(認識論と科学哲学)の入門書、兼左派的科学者への提言書。本書の80%をを占める科学論に関しては非常に優れた分析と明快な解説が行われている。ソーカルらは『知の欺瞞』で認識論的相対主義や社会構成主義を痛烈に批判したが、本書はそのような立場を取らず、社会構成主義的な科学論の中からも優れた洞察や教訓が得られるのではないかと探求する。そうはいっても全体的には社会構成主義に厳しめの論調で、おそらく理由は構成主義の極端な主張(例:客観的な事実など無く、科学的知識は西洋の白人男性社会で作られた神話のようなもの)は馬鹿げており、穏当な主張(例:科学者の研究も、自身の社会的立場や文化の影響を受ける)はどんな科学者でも認める当たり前のことだからだろう。しかしこの論争のことを知らなくても、なぜ科学ってそんなに信用されているの?という疑問を持ったすべての人におすすめ。 もう一つのメッセージ、左派的科学者はどう振る舞うべきかは全く不十分な内容だと思う。たとえば人種と知性の間に関係があるとIQの研究者がいうと「彼らの立場からすれば、既存の社会構造は「自然」な姿なのだから変えようとしてはならないことになる」という(p52)。これは露骨な自然主義的誤謬で、著者は論敵の立場を描写するときにとくにこの過ちを繰り返し使っている。また「遺伝決定論」を危険だと見なしているようだ。ところがマルクス主義や自閉症のコールドマザー説を見ればわかるように、環境決定論がそれよりいくらかでも安全だという保証はない。社会生物学とIQ論争から得られる教訓があるとすれば、どんな科学的主張が社会的、政治的に危険かは(彼らがナイーブに思い込んでいるほどには)明白ではなく、結局のところ可能な限り先入観なしですべての科学的主張に立ち向かわなければならないということではないだろうか。
16 人中、12人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
力なき正義は無能:正義=善意、力=合理的な方法論,
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レビュー対象商品: なぜ科学を語ってすれ違うのか――ソーカル事件を超えて (単行本)
ソーカルとブリクモンの『「知」の欺瞞』で日本でも話題になったソーカル事件を直接の契機として、学術の世界に見られる深刻な対立を描き出し、その乗り越えの方向性を探ってい ます(原著は2001年で、金森修氏の『サイエンス・ウォーズ』の一年後ですね)。 実在論と社会構築主義の対立軸を中心に、科学哲学のあれこれや社会構築主義のさ まざまを要領よく概観でき、本書で提示される著者の意図に必ずしも納得しない方も、一 読の価値は大いにあると思います。実在論や価値や客観性といった言葉の腑分けや、合 理性の擁護など、注目すべき義論も多数ありますよ。 しかし、そうした概観以上に、本書は刮目すべき提案をしています。 本書こそ、「境界を侵犯すること」を副題とすべきで、正統科学に親和的な左派と政治的 リベラルの再架橋を筆頭に、注意深く質を吟味した上で、様々な学術的営みの境界線と (いつのまにか構築されてしまった)障壁を越えて、盛んな交流を促したいというところに本 書の眼目があります。 この合理性を擁護する左派と政治的リベラルの再架橋が代表的ですが、社会構築主義 が提示した重要な視点のいくつかを積極的に摂取しつつ、基本は、合理性と正統科学 の方法を擁護して、目指すところは「社会をより良く」していくこと。 善意は、その善意を実現するための方策を同時に持つべきだし、かつ「善意」とその「方策」 は独立して論じ得る、と。 ロハスでスローな言説や怪しげなエセ科学が蔓延する背景には反知性主義があって、その 源流に反体制で反権威なニューエイジがあり、その流れがポストモダンに流れ込んでいる という認識があるわけですが、この流れの中で、啓蒙に親和的だったはずの左翼が、いつ のまにか謎な方向に流れていった点など、改めて本書を読んで再確認できましたよ。 科学哲学とか認識論なんかに関心がある人だけじゃなく、世の中をより良くすることに関心 がある人は是非一読すべきかと。
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