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著者は、その原因を、異質集団の不存在や、多様な価値観の欠如といった、極めて「同質性社会」であることと指摘している。これは、仮に日本であれば、少なくとも言論の自由は確保され、また、多様な価値観が存在するが故に、ある一定の過激な主張に対しては、必ず批判勢力が存在すること、そして、日本が経済大国であるが故に、海外の「日本ウォッチャー」が多数存在しており、自国中心的な偏狭な主張は展開されにくいことを比較的に指摘している。
韓国においては、このいずれもが欠如しており、それが「監視なきナショナリズム」を生む温床であるとしている。この視点は、『こうすれば犯罪は防げる』でも指摘されているように、犯罪行為の抑止に有効なのが、「外部の監視」であるとすれば、まさに、韓国ナショナリズムとは、外部の監視がないところで多発する犯罪行為と同質のものといえよう。
さらに興味深いのが、こうした韓国ナショナリズムの退廃性を朴正熙元大統領が、近代化によって克服しようとしたものの、実はそれによってもたらされた経済力を背景に、擬似的優越感が向上し、結局その根本的問題は克服されなかったという指摘だ。通常、経済力が向上し、国際社会における地位が相対的に高まると、それに相応しい行動を取るのだが、韓国の場合は、逆に高圧的になり、在韓外国人や、韓国企業の進出先で軋轢を生み出していることが指摘されている。
このことは、朴正熙元大統領ですら、克服しようとした、その「ナショナリズム」に結局は絡め取られてしまったという、韓国ナショナリズムの深刻かつ構造的な問題を示している。この意味で、我々が韓国に自浄能力を期待する、などというのは、妄想かそれに近いものでしかないことも、本書では明らかになっている。