1995年の出版された『日米戦争観の相剋―摩擦の深層心理』の増補版。
2001年9月11日の同時多発テロと、それに続く「対テロ戦争」に対する日米の受け止め方の違いを考察の範囲に加え、両国の戦争観の違いを示している。
そもそも1995年に出版された本は、アメリカのエノラ・ゲイ論争と、
日本の不戦決議論争や平和祈念館論争における第二次世界大戦観の溝に着目した。
そして、その第二次世界大戦観の溝が、朝鮮戦争やベトナム戦争、湾岸戦争などの受け止め方の差とリンクしている、という考え方をしている。
だが、「過去の記憶は、その時点で冷凍保存されるものではなく…変形してゆく面にも注意しなければならない」
と序論で述べているが、「よい戦争」(アメリカ)・「戦争はもうこりごり」(日本)といった記憶が、
「変形してゆく」過程については注意が払われていないように思える。
特に、積み重ねられ続ける歴史研究が「記憶」に組み込まれていき、
ゆるやかに「記憶」が変形していく過程について意識が払われていないのが残念である。
また、記憶がどのように「形成」されるのか、ということに関しても、分析がない。
むしろ「戦争はもうこりごり」という「記憶」は、メディアによって繰り返し流布されることによって、
特に世代を超えて、定着してゆくのではないだろうか?
つまり、記憶の「継承」のされ方にも、意識が払われていないのである。
戦争の記憶が「ナショナルな壁」に取り囲まれる傾向があるという指摘は興味深い。
だからこそ、何かの出来事をきっかけとして、お互いの戦争観が相剋するのだろう。
無論それは日米だけの事例ではない。
しかし「ナショナルな壁」は「越えなければならない」のだろうか?
本書を読む限りでは、その答えを出すことに、私は留保を示さざるをえない。
実は主題がいくつかあるから、読んでちゃんと咀嚼するのは、ちょっと骨の折れる作業かも。