帯の謳い文句的には「気鋭の人気哲学者によるスリリングな討論」と言うことになるのだろうけれど、今一つ論点が定まらず、行き違いになっている感あり。一つには小泉氏が慎重に真っ向勝負を避けているのが原因だろう。多分34-35ページに書いてあるように、本当はこの人は大江健三郎同様そういう問い自体を封印してしまいたいのだと思う。また、永井も言うように相当同氏の著作を予習して来ているにも係らず、用語の使い方に誤解が見られることから読解力にも問題がありそうだ。第三章の論文も何かまとまりの無い、出来合いの哲学的用語を散りばめた戯言めいていて信用出来ない。簡単に言えばこの人は6の「最初の後知恵」あるように、殺人は問答無用の<絶対悪>や<罪>であり、それについて哲学したり思考したりすることは無駄だといいたいようだ。逆に言えば1から5までの論文は本来の議論とは直接関係ない、不必要な意匠といえる。この人の本音は結局左翼的イデオロギーなのではいかと思う。それを哲学的意匠で飾り立てているだけなのではないか。一方、永井氏の議論は極めて哲学的思考に満ちている。逆説的で今一つ正確に理解しきれないが、永井が言いたいことは次の文章に要約されていると思う(少し長いが引用する)。「他者に対して『これは君の世界なのだよ』と呼びかける時、その時初めて、私はきみを殺してはならない立場に立つのだ。私は、その時だけ、その人の生を手放しで肯定している。きみは何をしてもよい。人を殺してもよい、そうであるからこそ、きみは殺されてはならない、だから私は君を殺してはならない。私はそう言いたいのだ。これがつまり、<魂>に対する態度である。つまり私は、人を殺してはならないという社会規範を一般的には破壊することによってのみ、その社会規範をみずからに受け入れることが出来る。」(H14.4.30)