「明日への遺言」として映画化されるのを機に、この本を手にしました。
驚いたのは、この岡田資という人物が目と鼻の先の半田市に住んでいたという事実と、この本が新聞小説として掲載され、読む機会があったのに逃していたと言う事実でした。それに、名古屋の街が絨毯爆撃で、これほどの被害を出していた事実も知りませんでした。
作者の筆は、この岡田資のB級裁判の模様を丁寧に追ってゆきます。
裁判の論点は、岡田が死刑にした米兵が絨毯爆撃をした戦争犯罪人なのか、俘虜なのかと言うことが第一点です。
もう一点は、その死刑判決に際して、弁護士も置かない略式の軍律会議によったということです。
これに対して、岡田はどうどうと検事に対抗し自分の意見を述べて行きます。同時に、部下の命を守り抜こうとし、罪一切を一人で背負おうとしました。
作者は、決して日本軍の戦争に賛同の立場を取らない人ですが、こうした岡田の姿勢に大いに共感を示していることが、文章の端々に読み取れます。
岡田の死刑判決にも動じない誇り高き日本人ぶりに、ほれ込んでいるような文章です。
この岡田の屹然とした態度は、どこから来ているのでしょうか?
日蓮宗に帰依し、法華経を死の直前まで読み解釈を加えていたと言うバックボーンの存在なのでしょうか。
それでいて、彼の遺言状のあの家族への優しい思いはどうでしょうか。とても、死の直前にあれほどの妻への優しい言葉がかけられるものでしょうか。
確かに、作者でなくても男ぼれする人物だと思います。
今の世の中、自分の権利だけ主張する人が多いのですが、部下の行為はすべて自分の責任だと言いきれる人がどれだけいるのでしょうか?
作者の思いが乗り移ったかのように、岡田資を見つめてしまいます。