「東京飄然」に続く作品で、平たく言ってしまうと散歩エッセイ。東京から熱海辺へ転居した「私」改め「余」は、バスでお宮の松を見に行ったり、船で初島に渡ってみたり、地元のふれあい祭を覗いてみたり……という(だけの)小説がなぜこんなにおもしろいんだああっっ。
「田宮に住みたいと思った。理由なんてない」という書き出し、「やはり僕は世間というところで世間並に生きていくことのできない人間なのだ」という序盤から、自殺できる場所を求めて彷徨するくだり、あるいは「ただ一切が過ぎていく」という章タイトルからして、これは太宰治だな、と思わせるのだが、炸裂する一人称のギャグの連発はもちろん町田節であって、ごく普通の「おっさん」の散歩が溢れ出す脳内言語の連なりによって何だか文学の域にまで達しちゃってる感じ。
考えてみれば、太宰治にもこういう系列の、爆笑続きの小説は多々あったわけで、もし仮に、太宰が最後の心中に失敗して戻ってきて、「人間失格」刊行後も、折り重なる締切に泡を食って小説を書き続けたら、その作風はこんなふうになって行ったのでは、とも思う。私の偶像マーチダさんも、ついこの前まで若手作家だったのに、いつしか太宰の死んだ年を越えてしまったわけだし。そう考えると、最後の段落はしみじみと味わい深い。思わず「明るさは、滅びの姿であろうか」と呟いてしまったりして。
このシリーズには、マーチダさん自身の撮った写真が……と書きかけて、確認したら違ってたのだが、まるで、作者本人が撮ったみたいな写真が何枚か挿入されていて、おもしろうてやがてかなしき作風にマッチしている。ふれあい祭の山羊の写真などしみじみ眺めてしまったのだが……これ、本当にマーチダさんが撮ったんじゃないの?
ところで、ふれあい祭のステージで歌われてたのは、あみんの「待つわ」ですね。すごく笑えた。