学校英語と受験英語にどちらも深刻な問題点があることは事実である。だが本書は少し英語至上主義に傾いているのではないか。
例えば、英語のネイティブはelder brotherなどとは普通言わないし、そもそも英語では兄弟姉妹の上下関係なんかほとんど気にしない、ということが指摘されている。しかし、だからといって、日本人が使う英語でもelder brotherやolder brotherと言うべきではない、というのは、英語話者と話す時は日本文化の考え方を捨てなさい、と言っているようなものである。英語を学ぶ上で文化の違いや世界観の違いを認識することはもちろん重要である。しかし、異文化を理解するということと、相手の文化に阿諛追従するということは違う。もし日本人の誰もが英語を話す時に兄弟や姉妹を区別しなければ、日本人と英語で交流した海外人は、兄弟姉妹の上下関係をはっきりと区別する日本文化の思想に触れることができない。これはどう考えても国際理解という観点からは有益ではない。逆に、多少最初は変な感覚を相手に与えたとしても日本人がことあるごとに兄弟姉妹のolderとyoungerを区別しているとわかれば、海外人も「日本ではその区別がそんなに重要なことなのか」とか「そんなことが重視されている文化もあるのか」と徐々に理解を深めていくはずである。
また、文法の軽視もあまりに度が過ぎると問題である。タイムの記事を解説しているところでは、onlyから始まる要素の後、文の倒置が起こっている箇所を「リズムの問題」だと説明しているが、そのリズムはどうやったら体得できるのか。普通に考えれば、「否定的な意味を持つ副詞要素の後では倒置が起こるのが文法のルール」と説明したほうがはるかに納得できる。リズムは大量のインプットで身に付けるしかない、と言われても気の遠くなるような話である。また、著者は第6章で受験英語の和訳問題形式を槍玉にあげ、内容理解よりも、省略・倒置・仮定法、比較、分詞構文などなどの文法ポイントを問うだけの問題と批判しているが、試験で差がつくからこそポイントとなるのであって、大昔から出題され続け、予備校や学校で傾向と対策がとられているのにもかかわらず、いまだに試験で差がつくのだとしたら、それだけ日本人がつまずきやすい箇所なのだという見方もできるはずである。
そして、本書を読んでいると、こういったいわゆる文法ポイントからなる「複雑な構文」が受験英語以外の英語とは無縁であるかのような感覚を抱いてしまうが、例えば、世界的にヒットした現代大衆小説であるThe Davinci Codeのような作品でさえ、実はこのような「文法ポイント」で埋め尽くされているのである。部分的に見れば、いわゆる難関大学の英文解釈問題と比較しても全く遜色のないような文章もある。
こういったことを全て考え合わせると、本書の受験英語、学校英語批判はやはりラディカルに過ぎるといわざるを得ない。