2002年の国による同和対策予算措置が切れる迄、3LDK+駐車場で約¥1万の破格の家賃や、運転免許取得・就学費用の補助、エアコン完備の学校等、他地区と比べての優遇は続けられてきた。
勿論現在も各自治体によって個別措置は続けられ、(表ざたにはならないが)自治体への就職・昇進に圧力をかけている事例もある。
そのような身近な部分に触れられていないのは不満だが、飛鳥事件の故小西氏への取材や自身の記事広告の例から、部落の住民のみならず行政・銀行・メディア等周囲が一体となっての依存や阿りを斬っている。
そして『黒い憂鬱』の優遇措置を受ける黒人と同様に、肌の色や部落出身である事をパスポートに「優遇=平等」と思い込ませ、被害者意識を刷り込み、依存体質化させ、無力感を助長し、自尊心を弱めてきたとも。
飛鳥事件にしても、長老を中心とする村社会を思わせるが、議員・行政への“お任せ民主主義”から脱却できていない社会はそれを嗤えまい。
共産党のように差別した者を擁護し囲い込むのは論外だが、妬みで優遇を逆差別と言い足を引っ張るのも得策とは言えまい。
良か飯を食う者を引っ張りたい気持ちは理解するものの、公務員叩きが巡り巡って多くの民間労働者としての自分の労働環境を更に落とす事に繋がっているように、部落の足を引っ張る事が、他国と比べて決して恵まれているとは言えないセーフティネットを更に削減する事の遠因とはならないか、と考えてみることも必要だろう。
そうであれば、部落外も部落も含めて行うべきは、「部落にもあるものを部落外へ」との著者の指摘は正論であり、メディアの「臭いものに蓋」に負けず、本書のような指摘がより多くに知られ行動が起こされてこそ部落差別は解消へと向かうのではないか。