天童が織田藩であったことを。
昭和30年代の子供は教わらなかった。
舞鶴山の頂上にある城址は戦国時代の北畠天童丸の居城で
山形藩の最上勢に敗れた天童氏一族は、仙台に逃げ、
伊達の家来となった。
天童織田藩の居城は、平地にある館であった。
なぜ、天童であまり歴史が語られなかったのか。
官軍の、手先となって奥羽越列藩同盟に加わるのが
遅れたと言う負い目があったのだろうか。
しかし手先という言い方は正しくない。
鎮撫使先導役を織田藩中老、吉田大八が、引き受けたのは
村山地方を戦場にしたくなかったからだ。
吉田は、庄内藩を説得する自信があったのだ。
織田の家名を上げたかったからでもあるか。