ジョセフ・ロージーについて何か書きたいと思っていたが、彼をうまく表現する言葉が中々見つからなかった。赤狩りでハリウッドを追われた監督、四つの名を持つ男・・・、何となく「社会派」というイメージがつきまとうロージーだが、筆者は何かもっと・・・いびつなものを彼の作品に感じていた。それは例えばヒッチコックの主演女優に対する爛れた目線や、ジョン・ヒューストンの映画に漂う死や倒錯の臭いに通じるものなのだが、実はロージー本人が判りやすい言葉を遺していた。「(『エヴァの匂い』以降)人を挑発する映画を作ることに興味を持つようになった」と。
挑発者!まさにそんな表現がぴったりな映画が、『召使』や本作『できごと』なのだ。
オックスフォード大学の哲学教授・スティーブン(ダーク・ボガード)の自宅前で、夜中突然、車の衝突音が。車に乗っていた2人の教え子のうち、ウィリアムはすでに死んでいたが、アンナ(ジャクリーヌ・ササール)は放心状態。家に連れ込み、昏睡するアンナを凝視するスティーブンは、数ヶ月間の「できごと」を思い出していた・・・。
オーストリアからやってきた美しい留学生のアンナ。スティーブンは教え子のウィリアムとアンナの中睦まじい様子に目を細めつつも、アンナの若い肉体に妄執を覚える。しかし、アンナには恋人がいながらも、スティーブンの同僚のチャーリー(スタンリー・ベイカー)と関係を持っていた。
不毛な愛に見切りをつけ、アンナがウィリアムと婚約した矢先に、事故は起こった。そして、昏睡するアンナを目の前にスティーブンは・・・。
前述の通り、ロージーはハリウッド時代に「メッセージ映画」の監督と呼ばれ、「社会派」のレッテルをしばしば貼られるため、本作はよく、イギリスのインテリ中産階級の小心や秩序の崩壊を皮肉った作品として捉えられるが、実のところそうした風刺の目線よりも、ロージーは歪んだ人間の側面を描いたり、観客の神経を逆撫でするような描写を嬉々として行っているように感じられる。クラッシュした車から放心の体でアンナが出る時に、ウィリアムの死体を踏んづけていく、なんて描写をわざわざ入れたり、舟に身を横たえるアンナの肢体を這うような、スティーブンの目線。粗野な同僚・チャーリーにほとんど愚弄されながらも、マゾヒストのように耐えるスティーブン・・・。
ロージーはハリウッド時代に、プロデューサーから「8千万人ではなく8億人の観客を想定して映画を撮れ」と忠告されたそうだが、いやいや、その「8千万人」(つまり少数派の映画マニア、の事ですよね)に向けた作風こそが「ロージー」スタイルなのだ。
スティーブンを演じたダーク・ボガードはまさにロージーの諸作を通じての共犯者と言うしかない。一見すると紳士的で、物腰の柔らかそうなその容貌の中に潜む、歪んだオブセッション。考えてみれば、後年ヴィスコンティが『ベニスに死す』で、リリアーナ・カヴァーニが『愛の嵐』で、ダーク・ボガードを起用したのも、'60年代にすでにこうした役柄をボガードがロージー作品で演じていた実績(?)があったから、なのではないだろうか?
そういえば、ロージーもまた「20世紀最高のアル中小説」として知られる『火山のもとで』の映画化を切望していたというが(実際に映画化したのはジョン・ヒューストン)きっと、アル中の元領事の役もダーク・ボガードで考えていたに違いない。そのバージョンも観てみたいものだ!