精神科医春日先生と漫画家吉野さんのコンビ、面白いです。いつもながら考えさせられますし、言葉ひとつ選ぶにもセンスを感じます。
で、今回はそのベクトルが負の方向です。そういうネガティブ思考が嫌いな人には全く受け付けない内容です。が、私はどちらかというとネガティブ思考を突き抜けたポジティブが、あるいは諦観を乗り越えた平常感に価値があるのではないか?と考えているので、その方向を補強してくれる楽しさであることは理解しつつも読むのは止められません。
お題がもうどうしようもなくネガティブなものではあるんですが、しかし、ただネガティブなだけで終わらせないのが春日先生の突き詰め方。恐らくそれがポジティブなモノであっても(実際に穂村 弘さんとの共著「人生問題集」では割合ポジティブな題目も扱っています)構わないのいでしょが、拘泥しつつもそれを突き放したり、複数の視線を取り入れることで思考の厚みを、客観性のさらなる醸成を、結果として手に入れていると思うのです。自分が心底信じられる強さは無いけれど、またそれを補強する行為には思考が働いてはいないけれど、自己にさえ懐疑の念を持つことでの、しかしそれでも突き抜けた感覚は私には説得力がありました。
特に「絶望感」に出てくる「取り返しのつかなさ」は誰しもが数度は経験するものだと思いますが(もちろん程度の差こそあれ)、その絶望感を2重底であることを指摘することでのひっくり返すロジックはまさに見事で、様々な思考を重ねたあとでしか出てこない突き抜けさ加減だと感じました。しかしこの方細かいことをいちいち、いちいち、ホントに良く覚えていて、しかもそれを後からごちゃごちゃと、よくそんな事まで考えているなぁ、と思わせます。この人精神科医になってなかったら、恐らく患者の側になっていたのではないか?と思わせるくらい小さなことにまでこだわってます。どれもある意味病的なくらいに。でも、そこからしか、病的なまでのフィルターを通さないと出せないおいしい水、というものもあると思うのです。そして実際にその水を美味しく味わえました。
また、「無力感」における選挙に出馬する春日先生のシュミレーションのどうしようもないばかりの無力感を乗り越えさせる選挙結果からの思考。それを契機に話される小学生時代のささいな出来事からは立ちの立ち上る無力感、ホントどういう感覚の持ち主なんでしょうね・・・
そして「罪悪感」における後ろめたさの感覚への思索から、どうしてこうなってしまうのか中学時代のある行為と、白い運動靴との間にある罪悪感に繋がっていき、その後母親との間の「いたたまれなさ」を通して、猫を飼うことへの罪悪感を裏返す醍醐味にまで行ってしまいます。罪悪感の生まれる仮説と通じている甘美な背徳的な甘さまで思考が広がってしまう先生の危なさも、まさに真骨頂と言えるのではないかと思うのです。
最後の「違和感」は同意はできないけれど納得は結構してしまう程の何かがあります。が、この先生がいくら名医でも、私は診て貰いたくないです、本を読む読者でずっといたい。目の前に連れて行かれて、何か話すたびにいろいろ頭の中で分析されたくない怖さがあります、こういう人が精神科医のプロなのかもしれませんけれどね。
そしてそれぞれの章の最後にわずか2ページで分からせる漫画を挿し込む吉野さんもさすが。似たもの同士なのよくわかりますね。相変わらず妙な連帯感を醸しだしてくれます。
ネガティブだけで終われないほどネガティブな要素そのものに肉薄し、客観的で、できるだけあらゆる方向から見つめるからこその到達する地平線には、不思議と暗いだけではない強さがあります。価値ある強さとは遮断して得られる強さではなく、耐え、経験し、通過してこその強さなのではないか?と。
春日先生が気になる方に、思考の厚みに意味がある、と考えている方にオススメ致します。