作品全体を一貫して貫く“エンケンそのもの”の存在感の濃度に圧倒される。自身の思いをそのまま吐き出したかのような言葉、歌い回しと渾然一体になったメロディ、癖のあるスリー・フィンガーと豪快な爆音エレキ・ギター。唯一無二と言ってもあながち間違いではない。
しかし、それだけでは表現は成立しない、という限界も本作は示してしまった観がある。1996年のレコーディング活動再開以降、遠藤賢司は“自分自身をぶちまけるだけ”というスタンスを取りつつも、アルバムの中に数曲は“ポップ”というと語弊があるけれどもアクセスし易いナンバーを収めることでフレンドリーさを維持してきたが、本作ではそれも捨てて“エンケン”というスタート地点でそのまま完結してしまっている。タイトル曲を筆頭に自分自身に関する歌詞が多いこともそれに拍車をかけている。
そして、アルバム1枚通して聴いた時、残念ながらどうも隔靴掻痒というか、あと一歩こちらに歩み寄ってくれないかという思いを拭えなかった。誰かのプロデュースでもう少し良い塩梅に外向きに展開出来ないものかと思う。のだが同時に、このままどこまで“純音楽の道”をつきつめられるものか、一種のドキュメントとして見てみたい気もするなぁ。
付け加えておくと、再録音の「夢よ叫べ-2012-」の山本恭司のギター・ソロは鳥肌ものです。