ロック、アダム・スミス、マルクス等によって理論化された、労働主義=勤勉の論理が遊びにまで浸透した現在、労働に価値を見出すためには、他者の他者として存在する自己に対する「他人の承認」をキーワードにするしかないだろうという筆者の主張には共感できる部分がある。とりわけ、「人間の活動が労働として普遍化し」「より効率的な生産を目指さなければならないという強迫観念、もはや『禁欲』としてすら意識されないこのインダストリー(勤勉・勤労)の心性は」「<労働>フェティシズム」であり、業績主義である。このような考え方においては「『遊び』は時間のたるみ、時間の浪費として意識される」のであり、「<労働>が人生の軸とな」り「活動のモデルとなる。」(P50〜52)というくだりにはハッとさせられた。他にもハッとさせられる記述が沢山あり、久しぶりに考えさせられる本、面白い本に出会えたという印象である。ウェーバー、ロック、フーコー、アレント、ボードリヤール、リースマン等の言説を参照しつつ説得的な議論が展開されている。それでいて、文章は大変分かりやすく、脱帽する以外にはない。原本は1996年刊とのことだが、最近書かれたと思われる30ページ弱の「補章」もある。この補章も、単なる後日談やあとがきではなく、その後の社会状況に合わせて、著者の思考を展開したものではなく一読の価値がある。個人的には労働を他者の承認に全面的にかからしめてしまうというのが著者の趣旨だとすれば、やや違和感を禁じえない点もある。しかし、労働や働くこととは何かを考えたい人、働くことに関し悩んでいる人には広くお勧めできる。著者の本はこれで2冊目だが、他の著書も読みたくなった。また、本書で引用されている本の中には読んだことがあるものもあったが、著者のような観点からの読み方もできるのだと気づかされた。