脳梗塞で倒れて以来、辺見庸を数々の病魔が襲っている。
今はガンの痛みと闘っている。それが辺見庸の「日常」である。
その「日常」から、今私たちが、他者の痛みを感じず、己の痛みすらも麻痺していることを
静かに告発する。筆致は相変わらず扇動的なところも見られるが
本書は自らの肉体的痛みを俎上に上げて、そこからの告発だけに、
清々しい覚悟のようなものさえ感じる。
もはや辺見庸は、己の中の矛盾点が見つかったとしても立ち止まらない。
……私固有の痛みとはるかな他者のそれには、やはり何かの縁があり、ときとしては果てしない距離を置いてたがいに鈍く重く疼きあうこともありえよう。2つの異なった痛みをつなぐのは、私的痛感を出発点にした他者への痛みへの想像力にほかならない。むろんそれは容易に届きはしない。(中略)痛みはだから、いつも孤独の底で声を抑えて泣くのだ。(あとがきのかわりに、より)
かつて辺見庸が「反戦デモ」に参加したとき、参加者の「笑顔」に衝撃を受けたと書いたことがある。
「これじゃない! そうじゃないのだ!」と。
本書でも辺見庸は痛みの中から叫び続ける。まさに悲鳴のように。しかし静かに……。