はんなりとした実存主義的小説ともいうべきでしょうか。何度も何度も繰り返し時間によって洗濯された洗いざらしのように汗臭い実存の臭いはすっかり消えて、あとに残るのは時間の残香のようです。
ある箇所を似非京都風に変換してみました。
「聞いておくれやす、いつのことやら忘れてしまいましたが、なにしろ突然ですねん、二十六人もの知りとおもない見知らぬ子供さんに囲まろて、このときですがなはじめて理解不能なものが出現したんどすなあ。ようは人生とお母さんについてわてが十分わかっとるつもりやったものと一致させられへんものができたということでんねん。それでどすな、わてはわかろうとする試みを途中で放棄して、すでにわかっとるものによりぴったりする別の始まりをさがし始めましたんどす。こやしてなんであれわてにはものごとを序の口しか把握できておらへんという想いが生まれましたんどすなあ。えらいこってすわ」
なにか根本的なおかしみというものが表現されているように感じます。
お薦めです。
なお、翻訳が見事です。ぐいぐいと読み込んだ痕跡が多く見られます。その結果として図らずも味わい深い軽味のようなものが醸造されているように感じます。大袈裟でいけませんが、こういった方々によって文化がしっかりと支えられていると実感できます。