この作品は、ナチスの強制収容所から解放されてからわずか1年後という時期に、フランクルがオーストリアの一般市民向けに3回講演を行った内容の書き起こしである。哲学用語に近い表現のトーンで翻訳がなされており、一般市民向け講演という割には難解と感じるが、十分に理解できる。ただし、じっくりと読むことが求められると感じた。
人生は何か?と天動説的に自己中心的に人生の意義を問い、絶望を味わうのではなく、人生は私に何を問うているのか?と地動説的に人生を捉えることに発想のスイッチを根本的に切り替えるという、究極とも言える悟りをこれでもかと筋道と具体的な例を添えてフランクルは説明している。人生観、人生に臨む姿勢のコペルニクス的転回が、この作品の真骨頂である。
ポジティブシンキング、いつでも前向きに、あきらめない、積極的姿勢、proactive等々、前向きで積極的な姿勢で人生に臨むことが大事と訴求する著作は多い。しかし、読む側からすれば、そんなことは分かっているつもりだ、しかし、それでも何ともならないくらい、しんどくて辛くてどうにも自分を前向きに保てない事態に直面することが人生の中では不可避とも言える。それでもどう頑張ればいいのか?頑張ればいいといわれても、頑張れないから困窮しているのではないのか?
フランクルの考え方は、そうした正しいけれども浅いと言わざるを得ない市井の識者の考察・アドバイスの陥穽を補って余りあるものである。どんな苦境にあっても、明日ガス室で殺されるとしても、不治の病で明日死ぬとしても、体がもう動かないとしても、すべての財産を失ったとしても、地位も名誉も全て失ったとしても、その現実に対してどういう態度を取るかという自由だけは奪われることはできない。そこに人間らしさ、人間の根源的自由があると説く。目から鱗とはこのことであった。自分の悲劇的状況を嘆く暇があるなら、態度を決し、出来る限りのことを行動する、それが大事と理解した。
この作品を読んだ後に、さらに
イワン・イリイチの死/クロイツェル・ソナタ (光文社古典新訳文庫)を読んでみるのも一考である。人生や死について常日頃深く考えることは少ないのかもしれないが、深く考えたくなることもあるのであって、その時にこの作品やイワン・イリイチの死は、人生観の軸を自分で調整するのにまたとない思考材料を提供してくれる。