論証が不十分で,構成が破綻しており,しかも取材不足の杜撰な本。レビューにあるまじき長さとなって申し訳ないが,以下の文章は,これらの点を敷衍したものです。
人を殺しても,犯行時に「心神喪失」(刑法39条1項)であれば無罪となる。引き起こした結果を見ると,違法な行為ではあるけれども,責任を問うことはできないからだ,というのが39条に関する学界のコンセンサスである。
これは,正当防衛(36条1項)で無罪になるのとはワケが違う。正当防衛とは,緊急状態にあって,違法な攻撃を,自力で排除することを特別に認める規定だ。文字通り,「正当」(=違法でない)な行為である。ゆえに,正当防衛に対して正当防衛で反撃することは許されない(背理である)。
これに対して,心神喪失者による攻撃に対しては,正当防衛で反撃することが許される。39条1項は,責任を問わないと言っているだけで,「違法でない」とまでは言っていないからだ。
こんなふうに,(客観的な)違法性と,(主観的な)責任の問題を区別して論じるのが,近代刑法の基本原理だ。
本書の著者は,「何人も,故意に基づく凶悪犯罪に対して,責任と刑罰を免れるべきではない」(p.85)と述べる。何よりもまず,結果の重大性を見逃すな(p.13,p.137参照)というわけだが,これは違法性と責任の問題を混同している。果たして理にかなった結論が出るだろうか?
この考えによれば,たとえば,「Xが自ら覚醒剤を注射して心神喪失となり,Vを殺害」という場合でも,Xに殺人罪が成立する。内心の状態が何であれ,(人の死亡という)重大な結果を引き起こしたのだから。では次のケースはどうか。「YがXに無理やり覚醒剤を注射し,心神喪失となったXがVを殺害した」。この場合も,重大な結果を引き起こしたのはXだから,Xに殺人罪が成立するはずである。結果の重大性という面からは,この2つのケースは全く同じである。結論を異にすべしという意見は,(Vの死亡という)結果ではなく,(覚醒剤の注射という)行為に着目しているのである。言うまでもなく殺人罪は,「殺人」を罰するための規定であり,違法薬物の使用を罰するのではない(なお,「Yを罰すればよいではないか」では答えたことにならない。問われているのは,Xの責任である。この回答は,「(殺人罪が成立するのは)XかYのどちらかだ」という誤った前提に基づくものだ。実際には「共犯」という犯罪類型がある以上,Xが責任を負うか否かに正面から答えなければならないのである)。
ここまでマジになって反論するのも大人気ない気がするが,要するに責任能力論は理性と感情の折り合いがつきにくい分野なのである。が,だからこそ理性的な議論が必要なのに,著者は説得的な論証を放棄して,“被害者(遺族)に鞭打つな”(p.65,p.93)と感情的対立に逃げこむのである。
元来,精神障害者の犯罪をめぐる議論で主戦場となっていたのは,保安処分に関してだった。保安処分というのは,責任を問わない(刑を科さない)けれども,放っておくと危険だから,隔離するなどして治療しますよ,という制度だ。これが人権侵害かどうかが争われていたのである。
本書の構成が破綻していると評したのは,本書が,39条論と保安処分の関係を的確に捉えていないからだ。「殺人者は野に放たれる」のは許せん,と言っているわけだが,その内容は,次の2つに分かれる。
A:心神喪失者も有罪とすべきだ(39条論)
B:心神喪失者は隔離・治療すべき(保安処分論)
従来の専門家は,論点Bに対して議論していた。Aの問題は,上述のように茨の道だからだ。それにBが認められれば,社会の安全は守られるのである。それなのに,矢鱈とややこしい議論を整理もせずに持ち込んできたのが本書だ。言ってみれば,鳥人間コンテストにプロペラ機で参加するようなもので,はっきり言って迷惑だ。
実際には,本書は,ほぼ完全に無視されているが,精神科医の小田晋が,本書に対して反論を行っている(『
刑法39条』)。この反論は,本書に理解を示しつつも批判するというスタイルで,一見どっちつかずの印象を与えるが,要するに上記Aについて反対,Bについて賛成,というすっきりとした態度である。
それでも,論点Aに関しては,たとえば“被害者の視点”などをうまく盛り込めば,それなりの議論になった可能性もある。だが結局,著者の貧弱な取材能力では,それも叶わぬ夢である。序章で,遺族の人に都合10回も取材しているにもかかわらず(p.9,p.13),有意義な情報はほとんど得られていない。法律家や鑑定医に対しては,きちんとした取材をする勇気もない。不起訴処分で遺族が無念に思うのは当たり前だ。不起訴にした検察官にこそ,取材すべきなのである。検察官は,「公益の代表者」(検察庁法4条)であり,訴追権限を独占する(刑訴法247条)。説明責任が発生するのは自明であり,もし取材を拒否されれば,その旨を書いて,実名を挙げてあとは好き勝手に批判すればよいのである。本書は,こんな簡単なことすらしていない。そんなに検察官が怖いのか。
本書を指して「綿密な取材がされている」などと評する者の知力を,私は本気で疑っている。本書では数多くの事件が紹介されている(多すぎるのが一番の問題だ)ものの,大半は新聞記事や公判記録をそのまま写したものだ。著者が,賢明にも「調書と精神鑑定書と取材により」(p.289)と区別して書いてあるように,他人の文書を書き写すのは取材に入らない。綿密な取材がなされた本というのは,『
でっちあげ―福岡「殺人教師」事件の真相』や,『無実』(
上・
下)のような本をいうのである。
“日本の異常性”を示すために挿入される国際比較も,典拠が示されていないものについては,全く信用に値しない。「心神喪失認定による不起訴が,日本以外の国のおおむね100倍にも達する」(p.120)というが,そんなデータがあるなら是非とも示して欲しい。専門家ですら,「米国においても,精神障害を理由とする不起訴処分が行われているとのことであるが,その数は不明」(清井幸恵「米国における訴訟能力と責任能力」判例タイムズ1202号,p.106〔2006年〕)と述べているのに。特殊ルートで手に入れたの?
ついでに言えば,本書はスイス刑法12条を賞賛して引用しているが(p.297),条文を読む限りでは,これは本書が別の箇所で「珍理論」(pp.212-215)として批判する,「原因において自由な行為」を明文化したものである。条文だけ引っ張ってきても,運用の実態を見極めなければ,意味のある調査とは言えない。
結局のところ,本書は,社会に対していらぬ誤解をばらまいただけである。よって,本書に対する評価は★1つである。これ以上の評価など,ありえない。