タイトルとなっているエッセイは、映画のロケで訪れた南三陸町のホテルの風呂で遭遇した母子についてのものである。
風呂場でその艶かしさが目に焼き付いて、赤ん坊の生命に圧倒されて息を飲んだ、というもの。
そして、曰く、南三陸町の記憶は圧倒的な生命力と分かちがたく結びついている、津波にも地震にも奪いきれないものが、わたしたちの中にはある、と。
非常にノスタルジックではある。しかし、その奪いきれないものとはなんであろうか。口ではいくらでも美辞麗句は言える。
また、それが現実の南三陸町なり、今回の直接の被災者たちにどれだけの意味があるだろうか。
娘と孫、父と母が津波に飲まれた知人。放心し、助かった自分を責め、「まるで映画をみているみたいだ」と未だに現実を受け入れられないでいる。
人の心を鼓舞するのは言葉の効用であろう。しかし、遠くの空から、被災地に足を運ぶでもなく追憶のように書かれたエッセイは、
勝手にやっておればよろしい、という以上のものではない。
なお、タイトルが示唆する震災関連のエッセイは、全体のごく一部分であり、残りはさらに内容浅薄な雑文の集積である。