「しょっぱいドライブ」は海沿いにある小さな町を舞台に、34歳の実穂と60代前半の男性九十九さんの微妙な恋愛関係を、語り手である実穂の視点から描く。実穂は家族ともども、長年にわたって九十九さんの人の良さにつけ込み多大な世話を受けてきた。父が亡くなり実家で暮らす兄とも疎遠になる中で、実穂は隣町でアルバイトをしながら独りで生活する日々を送っていた。実穂は地方劇団の主宰者の遊さんと関係をもつが、気持ちは次第に九十九さんに傾いていく。九十九さんの運転する車に乗って、生まれ故郷の潮の匂いの漂う町でデートを重ねる実穂。実穂の揺れ動く感情の流れと九十九さんの関係の機微を、作者の筆は正確に描き出す。30代女性と60代男性の恋愛という枠組みの中に、性や介護や経済の問題が示唆される。読者は、タイトルに含まれる「しょっぱい」に込められた多重的な意味内容に注意を向けるべきだろう。
このほか、中学2年生の不登校の少女と26歳の相撲取りという不思議な組み合わせのカップルを描いた「富士額」、若い女性同士の密着感のある奇妙な主従関係をつづった「タンポポと流星」を収録。現代人のさまざまな関係の有り様を描いた、つまりは「人間」を描ききった短編集である。(榎本正樹) --このテキストは、 単行本 版に関連付けられています。
現代社会は幸せなの?
――これまでの作品では突っ張った少女を描いてこられましたが、今回は分別のある30代女性が主人公ですね。
人間はどんなに肩肘張って生きていても、30代半ばになれば嫌でも丸くなります。相手の立場になって考え、瞬間的な怒りがなくなって、笑って処理できるようになる。今回の小説では、社会に反発してきた少女が大人になった時の姿を描きました。
実は、私の小さい頃は周囲に反発してばかりいました。人が言う常識とか押しつけに対しては、言葉にはほとんど出しませんでしたが、強い抵抗感を常に抱いていました。大人というのは、自分たちの保身や生活の維持を考えて子供を叱るでしょう。それが嫌で嫌でたまりませんでした。
でも、それを口に出した途端、こっぴどく叱られるから、じっと黙っていたんです。大人にどんなに反抗したって、「ごめんなさい」を言わされるのはいつも子供でしょう。反発を口に出す代わりに胸の中に1つずつしまってきたというのが、私の少女期です。ですから、今回の主人公は今の私に近いかもしれません。
――尊敬する作家は夏目漱石や太宰治など、明治から昭和初期にかけての人たちが多いそうですね。
夏目漱石や太宰治が私の小説を読んだら、どんな感想や意見をくれるだろうと気にしながら書いています。生意気かもしれないですが、彼らの前で恥ずかしくない小説を書きたいという気持ちが常にあります。
私の小説は彼らと違い現代の日本が舞台です。でも、人間というのは時代が変わっても、本質的にはそれほど大きく変わるものではないでしょう。ですから人間の心の奥底にあるものは、彼らが書いてきたことと全く違うことはないと思うんです。今どきの10代の子供たちだって、風俗や服装が変わって洗練されている気がするけれど、考えていることの本質は昔とそれほど変わらないのではないでしょうか。
例えば、生きるとは何なのか、青春時代の心の葛藤とか、時代は変わっても、変わらない人間の本質みたいなものにものすごく興味があります。これからも、そういうテーマを中心に小説を書いていきたいと思います。
――洗濯機を使わず洗濯板で洗濯されているそうですね。なぜですか。
私は一人暮らしなので、必ずしも洗濯機が必要ないこともありますが、便利な製品が本当に人間の心を豊かにしてくれているのか、という疑問もあります。私は原稿を書く時も手書きで、鉛筆をナイフで削りながら書いています。鉛筆に使われている木材って、薫製を作る時にも使われるそうで、味わいというか、質感がありますよね。
バブル経済が崩壊して、皆さん元気がなくなったと言いますが、私は逆じゃないかと思うんです。何か、物や経済に人間が振り回されているだけで、自分のテンポでは生活できない。これって異常な世界じゃないですか。
洗濯板を使って洗濯しているとよく分かるのですが、自分のテンポで生活していると、とても気分がいいんです。もう十分に物があるのに、必要以上に便利な物やブランド品が手に入る現代の生活は、本当に幸せなんだろうかとも感じます。何でも欲しがって、手に入ってもそれ以上欲しくてローンを組んで、それで生活が厳しくなる。それを誰もが当たり前だと思っているのは不思議です。物が先に手に入って後でローンを払うという生き方が、私には怖いんですよね。そこの根本の考え方は違うのかな、と思います。
( 瀧本大輔)
(日経ビジネス 2003/03/10 Copyright©2001 日経BP企画..All rights reserved.)
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直木賞ともども該当作なしとできない事情から、無理に受賞作をつくるというのも考えもの。作者は、処女作には荒削りの生命力があったけれど、小賢しい文学的知恵をつけて、文体はこなれたもののパワーはどんどん落ちている。
30代女性と60代男性の同棲という内容で、この作品を指示しているのは、文藝春秋購読者層のおじいさん連中か。金でつながった仲でもいい、幾ばくかの純情に賭けて若い女に介護されたい、なんて甘い夢見てないで、その世代には、「模倣犯」の豆腐屋のじいさんのように、世の中をろくに知らんくせにわかった風に言うな!と、孤高の覚悟で叱ってほしい。
でも、あえいでいる魚に自分を投影して、どきどきする主人公の心情が、胸に迫ってこなかった。作者の生身の感情が一番吹き出している部分なのに。それは、主人公が、社会の崖っぷちに生きているという印象が薄いせいだと思う。いつも嫌なこと苦手な人は避けて、受け身で楽な方に流れてきたと言う感じがした。
ラストも、そんな女性が、なんの義務も束縛も経済の心配!もない、ラク~なところで、ちっぽけな自我にぬくぬく納まっただけ。めでたしめでたし。
作者にいくら「人生にはどんな逃げ道もあるって教えてあげたい」って力説されても・・・こんな無気力で脆弱な物語に、うっかり癒されたら、相当やばい。
これを評価された方々は、よほど疲れていたのだろうか。
九十九さんのバーコード状の髪が片側に寄って垂れているのを、主人公が直してあげるシーン。TVの爆笑ビデオとかでさんざん見たような場面。こういうのをしてやったりみたいに小説の中で書くって、「悲しいユーモア」じゃなくて、「お寒いギャグ」と言うのでないの。
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