浅井ラボ先生の小説「されど罪人は竜と踊る」の最新巻が出ましたが、前巻のラストでアナピヤを失いジヴーニャと別れる羽目になったものですから、冒頭でのガユスのヘコみっぷりは見ているこちらまでヘコんできます。まあ今回に限らずこのシリーズはストーリーがダウナー系なんですけど。
それでもガユスがジヴーニャの代わりを求めていたにせよ、半ば勢いで別の女と付き合ったり、女の方がガユスの心の隙に付け込んできたにしても、相手の心に昔の女が未だに住んでいると分かっていても付き合いを続ける所を見ると、人生というのはそうやって騙し騙ししながら月日を過ごしていくのかなどと生々しいことを考えたりします。
そんな中、最悪の殺人者達<ザッハドの使徒>の1人アンヘリオがエリダナに現れ連続殺人を始め、それを迎え撃つため最凶の咒式士パンハイマがとうとう本編に登場します。片や殺人そのものを目的に殺人を行う殺人者集団、片やエリダナ屈指の戦闘力と権力、狡猾さを併せ持つ魔女とそれに率いられた一団、これら『混ぜるな危険』の人格破綻者達がぶつかり合えば、周囲の被害や犠牲などお構いなしの地獄絵図、阿鼻叫喚が繰り広げられるのは自明の理というわけです。
さて、上で人格破綻者とひとくくりにしましたが、パンハイマは他人を傷付け苦しめることを呼吸や食事のように平然と行い、犯罪者スレスレなこれまた人格破綻者の部下達を率いてやりたい放題。しかもそれで罪に問われないよう駆け引きや謀略、権力、財力を駆使して自分の身を守っているというのですから始末に負えません。作中で重病に冒されもう長くないというように書いてありますが、あそこまでタチの悪い人格だと「嘘ぢゃ」と言ってケロッと復活しかねませんよ。
一方<ザッハドの使徒>は、要約すると『殺したいから殺す』という理屈で残虐な殺人を次々と行っていく自己完結ぶり。私も創作をしているから分かりますけど、独自の理由や理屈を持っている敵との戦いは、主人公側が敵の論理の粗や矛盾を突いてきて、逆ギレした所を返り討ちというのが定番ですが、アンヘリオのような連中は殺人そのものが殺人の理由だから、突き崩す粗や矛盾が見つからないのです。
このように同じぶっ飛んだ人格破綻者でもそれぞれ方向性が違いますが、どちらにしても社会に生きている人々の大多数にとってはなるべく関わり合いたくないという一点では共通してますね。
そうそう、異常と言えばもう1人、パンハイマの娘でありながら、生きるか死ぬかという戦いの場に於いても愛と正義、救いを訴えるペトレリカのありようは聖女を思わせますが、され竜でそう言う行動は壊れフラグ立ちまくりだよなと思うのは私だけでしょうか?
さて、以上を含めてこの先<ザッハドの使徒>達による血の祝宴はいかなる展開を見せるのか、ガユスの次の恋愛は長続きするのか、パンハイマはどこまでぶっ飛ぶのかなど、次の巻が怖い一方で待ち遠しいです。