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68 人中、60人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 4.0
ソニーがヒット商品を生まなくなったわけ,
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レビュー対象商品: さよなら!僕らのソニー (文春新書) (単行本)
創業60年を過ぎたソニーの、特に90年代以降の「変質」を描く経済ノンフィクション。著者によると、井深、盛田両氏が牽引した「技術のソニー」の経営の実権が大賀氏、さらに出井氏、ついにはストリンガー氏と変転していくなか、ソニーの企業体としての性格は大きく変わっていった。ことに、本流だったはずのエレクトロニクス事業(「エレキ」と呼ぶらしい)が「ハードとソフトの融合」などの「お題目」によって名実共にないがしろにされ始め、ヒット商品が少なくなり、やがて人材の流出を招くに至る、という低落・委縮・弱体化傾向は21世紀に入って以降も続いているという。著者が小学生時代に初めて出合ったソニー商品はオープンリールのテープレコーダーで、「SONY」のマークは音と映像を主なフィールドにした新しい技術、高品質電気製品のシンボルだった(評者にとってもそうだった)。盛田氏が前面に出てアピールした「ウオークマン」、大賀氏がリードしたCD、さらにトリニトロン・カラーテレビ、平面ブラウン管の「ベガ」、遅れて参入して成功したPCの「バイオ」、ロボットの「アイボ」(既に撤退)、さらにその画質・操作性などで語り草になっているベータ方式のVTRなど、ソニーの商品群にはインパクトがあった。だが、21世紀を迎える前後から、新種の「エレキ商品」がソニーから出ることはまれになる。なぜそうなったのか、を解くカギが出井氏の登場、さらに出井氏が昇格させたストリンガー氏の経営思想にある、とする著者の指摘は興味深い。 著者はソニーの一連の変質は、米国流の経営手法からすれば当然の帰結だと解説する一方、戦後日本の経済史・生活史に足跡を残した「旧ソニー」に対し、書名通りに別れを告げる。筆致は冷静で、フェアネスも意識されている。よくまとまった良質のノンフィクションだと思う。
99 人中、81人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 3.0
大賀氏を美化し過ぎている,
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レビュー対象商品: さよなら!僕らのソニー (文春新書) (単行本)
ソニーの創業時からストリンガー体制の没落期までのソニーの歴史をまとめた本である。今までのソニー批判書と比べて特に目新しい点はないが、著者がソニーの社長や役員に対して行ったインタービューに基づいているため内容は比較的信用できるだろう。 著者はできるだけ公平に書くことを本人なりに目指しているように感じる。 例えば、一般的には叩かれる出井やストリンガーにも良い面があったことも書かれている。 しかし、大賀氏と久夛良木氏の描写はあまりにも甘過ぎる。 彼らもソニー没落の原因を作った戦犯なのである。 特に大賀氏はあまりにも美化されている。 大賀氏は映画事業などの投資で二兆円近い有利子負債を作ってしまった。 また、デジタル時代の到来を読めず、ブラウン管工場を新設するなど、ソニーのデジタル化を遅らせた人物でもある。 後継者の選択の際に大賀氏が最大の目的としたのはその負債の返済だった。 そのため、出井氏を選んでしまったのである。 大賀氏の悪行は「ソニー本社6階」に書かれているので、ご一読いただきたい。 久夛良木氏もソニー没落のA級戦犯である。 本書ではゲーム事業で成功した人としか書かれていないが、ソニーを韓国サムソン電子と提携させて 合弁企業S-LCDを設立し、ソニーのテレビ画質調整のノウハウをサムソンに全て教えてしまった戦犯である。 S-LCD設立前のサムソンは液晶パネルの製造能力だけは高いが、高画質のテレビを作れなかった。 画質調整のノウハウがなかったからである。しかし、久夛良木がそのノウハウを全て韓国に垂れ流したのである。 現在の日本のテレビメーカーが苦戦しているのは当時の出井、久夛良木のせいとも言える。 しかも特に方針のないゲーム機PS3とそのCPU Cellに5000億円もの巨費を投じて失敗し、ソニーの没落をさらに加速させたのも久夛良木氏である。 本書の思想である「ハードウェアとコンテンツの融合はあり得ない」というのも疑問がある。 著者は出井もストリンガーも「ハードウェアとコンテンツの融合」を目指して失敗しているからもう止めるべきだと主張する。 しかし、ハードウェアとコンテンツの融合で成功したのが、アップルであり、グーグルではないのか。 ソニーがうまくできないのは、出井とストリンガーが無能なだけではないのか。 実はハードウェアとコンテンツの融合でソニーが成功した事例がある。ゲーム機PlayStationである。 しかし、久夛良木氏がゲーム子会社SCE社長に就任してからソフトウェア軽視政策をとって、SCEのゲーム制作部門の人員を大幅削減し、SCEのゲームソフト内製能力を大幅に低下させた。 そして、評判の悪い半導体Cellに大量投資した。 CellはPS3に搭載されたCPUで、内部にPPUというコアCPUとSPUと呼ばれるDSPのようなCPUが7つ入っている。 PPUの性能はPentium4 600MHzと同等と言われており、性能は低い。 それを7つのSPUが補うというものであった。 しかし、この構造に問題があった。SPUはわずか256KBのローカルメモリしかなく、あまりにもメモリが少ない。 DMAでメインメモリ256MBにアクセスすることはできるので、データを何度も入替えながら大きなデータを扱うことはできるが効率が悪い。 PPUと7つのSPUはリングバスで接続されているので、レイテンシ(遅延)も大きい。 しかし、データではなくプログラム自体が256KBに入らないときは分割するしかないが、 プログラムの分割は非常に大変である。分割したプログラム同士でデータの同期をとる必要があるからである。 データの種類を分類し、どのような仕組みとどのようなタイミングで同期をとるかを決め、同期の仕組みをデータを扱うプログラムコードに丁寧に入れていかないといけない。 このような仕組みはバグの温床になることも多いので、あまり好ましい方法ではないし、当然効率も悪い。 SPUを使わなければ、このような問題はないのだが、PPUが低性能なのでそうもいかないのである。 そのため、Cellでプログラミングをするために通常のCPUの何倍もの工数を消費する必要があった。 つまり、ハードウェアのためにソフトウェアが苦労するという目的と手段が逆転したCPUであった。 このような意味のないものが何故作られたのか? 久夛良木健のコンテンツ軽視主義、ソフトウェア知識の不足、イエスマンだけを重用する独裁体制などがその理由である。 そして、本書の著者の言う「ハードウェアとコンテンツの融合はあり得ない」という思想も久夛良木氏と同様ではないのか。 結局のところ、本書は著者から見たソニーに過ぎないことに注意する必要がある。
55 人中、45人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
昔日の輝きも今は無く,
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レビュー対象商品: さよなら!僕らのソニー (文春新書) (単行本)
確かに昔(評者にとっては40年近く前)は、ラジカセやラジオと云えばとにかく「SONY」ブランドはある種のオーラで輝いていたものだ。性能といいフォルムといい、それを持っていることが少年ながら誇らしい一ランク上の製品群を、この4文字は表象していた。それが今はどうだ。組織はトップから腐るというが、それを例証しているのが同社とは情けない。具体的なビジネス・モデルの裏付けのない空虚な経営方針、頻繁な組織改編(組織いじり)、インナーで固め正論の容喙を許さず、責任をとらずに自らの保身に汲々とするトップ・マネジメント陣、企業の歴史を背負った数多くの資産を売却し企業としての「厚み」を失い薄っぺらになっていくその姿、混乱をもたらすだけの外国人の跳梁跋扈などなど、かつての輝きも今や無い。 「ストリンガー氏にとって、テレビを始め家電製品は「端末」に過ぎず、インターネットなどネットワークに繋ぐことでもたらされるサービスやコンテンツの価値こそが重要で、それらが「端末」に価値を与えるものなのである。それゆえ彼は、標準化され、使い易く手頃な価格であることが、ソニー製品に第一義的に求められていると考える。つまりは、自社の端末が満足のいくものでなければ、他社から購入すればいいという考えになる」(128頁)。 「功労に対しては報酬を与え、地位を与えるべきでないことは人事の常道だが・・・」(189〜190頁)。 本書を読むと、グローバル化が仇となり、却って逆に衰退し傾いていく企業パターンのあり得ることがよく分かる。それにしても、かつては偉大な先達としてわが国企業社会における「模範教師」であった同社が、今や「反面教師」でしかないというのは全く情けない限りである。
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