創業60年を過ぎたソニーの、特に90年代以降の「変質」を描く経済ノンフィクション。著者によると、井深、盛田両氏が牽引した「技術のソニー」の経営の実権が大賀氏、さらに出井氏、ついにはストリンガー氏と変転していくなか、ソニーの企業体としての性格は大きく変わっていった。ことに、本流だったはずのエレクトロニクス事業(「エレキ」と呼ぶらしい)が「ハードとソフトの融合」などの「お題目」によって名実共にないがしろにされ始め、ヒット商品が少なくなり、やがて人材の流出を招くに至る、という低落・委縮・弱体化傾向は21世紀に入って以降も続いているという。
著者が小学生時代に初めて出合ったソニー商品はオープンリールのテープレコーダーで、「SONY」のマークは音と映像を主なフィールドにした新しい技術、高品質電気製品のシンボルだった(評者にとってもそうだった)。盛田氏が前面に出てアピールした「ウオークマン」、大賀氏がリードしたCD、さらにトリニトロン・カラーテレビ、平面ブラウン管の「ベガ」、遅れて参入して成功したPCの「バイオ」、ロボットの「アイボ」(既に撤退)、さらにその画質・操作性などで語り草になっているベータ方式のVTRなど、ソニーの商品群にはインパクトがあった。だが、21世紀を迎える前後から、新種の「エレキ商品」がソニーから出ることはまれになる。なぜそうなったのか、を解くカギが出井氏の登場、さらに出井氏が昇格させたストリンガー氏の経営思想にある、とする著者の指摘は興味深い。
著者はソニーの一連の変質は、米国流の経営手法からすれば当然の帰結だと解説する一方、戦後日本の経済史・生活史に足跡を残した「旧ソニー」に対し、書名通りに別れを告げる。筆致は冷静で、フェアネスも意識されている。よくまとまった良質のノンフィクションだと思う。