サイコ・ミステリに入るのでしょうが、ふしぎなインパクトが残ります。
大事故の後遺症に悩む主人公のピアニスト新庄篤につきまとう、黒い片目のクマのぬいぐるみ。彼にしか見えないこのクマのささやきに従って、彼は妻の浮気を知り、彼女を殺し、逃亡生活に入り………。
パジャマとサンダルで歩きまわるこの不審な男に対する、人々の反応の奇妙さ、そして知り合ったばかりの少女ココロが篤と行く先をともにしてくれることになりますが、彼女の言葉で、自分の記憶のちぐはぐさがしだいに見えてきます。事故の前に立ち寄ったレストランで、すでに妻が大怪我をしていた? 謎をとくかのように、彼は事故現場や自分の思い出の場所を訪れてゆきます。
篤の世界はそれなりにつじつまが合っているのですが、どこかが、おかしい。昔の知り合いの老婆の目にはココロが見えなかったり、黒いぬいぐるみの本体に出会ったり。現実はいったいどうなっているのか。
霧の中をさまよっていた彼の精神が真実をとらえたとき、ミステリという枠組み自体が崩壊します。(ここはネタばれになるので書けませんが)、晴れた霧のさきに見えてきたものに、わたしは癒されました。恐ろしい事柄の数々を抜けたさきに、彼のほんとうの人生が始まるような気がします。
篤の事故までの行動や心理にはやや不自然かと思われるところもありますが、それだけ心がバランスを崩していたために、このような事件が起きていったのだと考えると、ぜんたいが幻想物語の余韻に包みこまれ、納得できます。悲しすぎるピアニストの物語ですが、ふしぎな明るさがなぜか最後に。
ミステリの境界を越えて、ふうっと別次元へ抜け出る物語です。