この映画を見た人で星野真里のヌード狙いだった人は
「貧弱な体でがっかりした」「あんな体で脱ぐ必要はあったのか?」と
酷評する人が多いけれどそもそも星野真里はグラビア出身でもないし
服の上からでもいい体してるとは到底思えないのでそんな期待に胸(と下半身)
膨らませて見る方がいけない。そして脱ぐ必要はあったのか、という人に対しては
「あった」と言い返したい。この作品はユタカ(西島秀俊)とユウコ(星野真里)の
セックスしている関係を主軸にして話が進む。何度も出てくるセックスシーンで
よくあるギリギリヌード(乳首のみ隠す)に逃げることもできるが
星野真里がフルヌードになるのは最後のみ。ユタカへそれをいったら二人の関係はおしまい
になるがずっとずっと心のなかで抑えつけておいた想いをすべてぶちまけるシーン。
心も体も素っ裸で、その貧弱な体で、泣きながらユタカ(ついでに西島秀俊の尻を出して
素っ裸)に想いを告げることにこのシーンは意味があったのだと思う。
そしてラストに続く星野真里のはじけたカラオケにも意味がある。
人前で歌えないこととユタカへ想いを告げられないことが平行して進むシナリオのなかで
最後の最後で一気に抑圧から開放されたことを見る側に伝えているのだ。
星野真里の裸よりもこのはじけたカラオケのシーンのほうが好きだ。
一言で総括するとこの映画は「ろくでなし男とそれに惚れるダメ女の話」
だがこのはじけたカラオケシーンに小さな「救い」が見えた。