血縁結婚を繰り返した貴族の末裔デ・ゼッサントの生涯に仮託して、作者の思弁を奔放に綴ったもの。大まかには、ゼッサントが美と頽廃の「人工の小宇宙」を築いて行く過程とその末路を描いた作品。「さかしま」とは英語で「Against Nature」、即ち「道理にそむくこと」の意であり、基本的に愚俗を忌み、知性と人工を賛美する内容となっている。訳者は私の好きな澁澤氏で、翻訳臭さを全く感じさせない練達した文章になっている。
城館での孤独な子供時代。世間の人々を全て俗人と見なし、性的放蕩に耽ったイエズス会学校時代。放蕩のため遺産を食い潰し、性的欲望も減退し、フォントネエと言う田舎町で隠遁生活を送る道を選んだ経緯。好みの彩色・書物・絵画・調度類で埋められた隠遁邸。知的詭弁による「本物と変わらぬ幻想の悦楽」の信奉。第三章を通して語られる10世紀以前のラテン文学批評。通常の小説の枠組みを越えた構成である。動植物・宝石・酒・音楽に関する煌く考察は澁澤氏のエッセイの様。第五章の絵画の論考は圧巻で、モロオ「サロメ」・「まぼろし」とロイケン「宗教的迫害」は頽廃と残虐の象徴である。しかし、彼の希求する生活は知的な"修道僧"のものなのである。一方、涜聖の罪を犯した事に自負心・慰安を覚える矛盾。夥しい畸形植物から喚起される梅毒のイメージ。そして、"特殊な善意"なしの自由・思想・健康を否定する精神。第十二章の宗教書論評は日本人には苦しいが、次第に涜聖とサディズムの考察に移行する辺り計算尽くか。「サディズムの魅力=禁断の享楽」なのである。傾倒するボードレールとポーの愛情概念の分析も読ませる。
日陰に蔓延る陰花植物の様な思弁は、19世紀末のフランス知識人のある種の閉塞感・厭世観を表出させたものと言え、文学的評価は兎も角、貴重な作品に思えた。日本を含む東洋美術への言及が多い点も印象的だった。