伝統的なミクロ経済学やマクロ経済学、マルクス経済学の主要なトピックには直接にはほとんど触れられていないが、だからといって説明責任を逃れている訳ではなく、直接触れられていないからといってそれらの知見が無駄であった訳ではもちろんない。伝統的な経済学から最新の経済学に至まで、全てのトピックについて正確に理解しておられるからこそ、このように「使える」というタイトルに忠実に、伝統的なトピックに大胆に触れずに、書けるのである。しかも求める者が耳を澄ませば、この本のどのトピックにもきちんと、底流に流れる伝統的な経済学のトピックの音を聞くことさえできる。
振り返れば90年頃には、「バブル」さえ、経済学者の間では、まともな経済学用語として扱うのが露骨に躊躇われていて、いかに市井でこの語に言及されようと、また、何度なぜこんなことになっているのか説明を求められていようと、大竹先生を重要な例外とする多くの経済学者が、このように俗な言葉は一時のそれこそ泡沫事象に過ぎず、結局扱わないのが最も賢明であったと歴史が証明するに違いないと信じ、その審判の日をじっと待つ姿勢でいたのを、私ははっきりと覚えている。なぜ覚えているかと言えば、私も当時その説明を求めていたからであり、説明をいただけない担保に、その彼らの姿勢だけをしかと目に焼き付けることにして、「その場を去った」からである。
しかしこの本を読んでみれば、このように役に立つ経済学を生むために、役に立つと宣言するのははばかられた私の学んだ経済学も、どうしても必要だったということが、この年月を静かに追い越すように、しみるように説明され、納得されていくのであった。従ってこの本にふさわしいタイトルは、長過ぎるのをおそれず、正確さにのみ忠実に書けば『「あの場を去ら」ずに向き合い続けた大竹先生達の努力で、この20年でこんなに使えるようになった経済学』であるというべきであろう。