サンデルは2010年に「白熱教室」が日本でもブームになって、授業を盛り上げるテクニックがすごいとばかり言われている印象がありますが、本書を読んでみると、サンデルが提起している哲学的な課題そのものが、現代の日本人にとっても非常に重要なものであることが分かります。
サンデルの専門は政治哲学・道徳哲学です。つまり、「正しい行い」とか「正しい社会制度」を作ろうと思ったときに、「正しい」とはいったいどういうことなのかについて、徹底的に掘り下げていく哲学です。
サンデルは、道徳や正義について考えるとき、まず始めに具体的なケースを想定するのが良いと言います。たとえば4人が乗ったボートが漂流しているときに、1人を殺して残りの3人が生き延びるという選択は正しいのかどうかといった具体的なケースです。その次に我々は、“直観的”に「こうすべきなんじゃないか」という道徳的判断を下します。そして、その“直観”に理屈を与えるために、道徳的判断の「原則」のようなものを探して考えを掘り下げていくわけです。
道徳的な価値観に関わる問題は、そもそも人によって意見が大きく異なるものばかりだから、答えを出すのがとても難しい。しかし、考えを深めていくためのヒントはいくつか存在する。サンデルは、哲学の歴史を振り返ると、正義や道徳をめぐる議論というのはだいたい3つのパターンに分かれると言います。
1つ目が「功利主義」で、とにかく人々の快楽の最大化を追求すべきだというもの。「最大多数の最大幸福」とよく言われるように、一人一人の「幸福」や「快楽」を足し合わせた総量が最大になるように、そして「苦痛」の総量を最小限にするのが最も重要だというわけです。
もう1つは「自由」を尊重する立場。最も極端なのが「リバタリアニズム」で、政府の役割なんてものは最小限でいいし、社会保障政策すら不必要だと主張する。一方、自由を尊重する立場の中でも「リベラリズム」は、全ての人々が対等な自由を享受できることを目指しているから、弱者を救済するために政府が積極的な役割を果たすべきであると考える。
最後の1つは「美徳」を重視する立場で、我々の社会の目標は快楽を最大化することでも自由を最大化することでもなく、より美しく、より善く生きることであると考える。サンデルも基本的にはこの立場に属しています。
近代の正義論は、基本的に「功利主義」や「自由主義」に基づいていて、そこには一つ共通点があった。宗教的信念や道徳的価値観は人それぞれなのだから、社会制度というものは特定の「美徳」に味方すべきではなく、様々な価値観に対して中立的に設計されるべきであるという前提です。しかしサンデルは、大学入試や同性婚の議論など様々な例を持ち出して、この「中立性」という原則に哲学的な疑いを差し向けていきます。
これまで我々は「中立性」の原則にこだわりすぎていて、信念や価値観について議論することを恐れるようになり、道徳観が貧弱になってしまったというのがサンデルの問題意識です。「他人の価値観を尊重しよう」と言って、実のところ我々は、尊重してきたのではなく、単に衝突を避けて来ただけ。言い換えれば「無視」してきた。
我々は、他人の価値観に触れないようにするのではなく、お互いに敬意を払って議論をすることで、道徳観を深めていく努力をしなければならない。そして、「共通の善」について議論することで、バラバラになってしまった社会に「連帯」を取り戻さなくてはならない。そういう議論を避けて道徳観が深みを失ってしまったことで、我々は「原理主義」のような単純で過激な道徳に付け入る隙を与えてしまったのだとサンデルは言います。本書で紹介されていますが、オバマ大統領も「政治が宗教的に中立であり得るわけがない」と主張していたらしく、サンデルはその姿勢を高く評価しています。
サンデルの議論は本書でも非常にシンプルで分かりやすいので、ベストセラーになるのもうなずけます。具体的なケースに触れながら、アリストテレス、カント、ベンサム、ミル、ロールズといった哲学史の巨人たちの思想も噛み砕いて解説しており、カンタンな学説史にもなっていて勉強になる。カントのような難解な哲学をこんなシンプルにまとめてしまっていいものか?という心配もありますが(笑)、一読の価値はあります。
先日Appleがリリースした「iTunes U」でもサンデルの講義が無料で聴けますし、「白熱教室」は書籍にもなっていますが、個人的には本書を読んだ方が論点整理も問題意識もハッキリしているので、手っ取り早く理解できるのではないかと思います。